社会人として見る『響け!ユーフォニアム』

Kaito Sugimoto
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公開:2024/6/13

『響け!ユーフォニアム』3期を見ていて、どの回も胸の動悸が止まらなくなる。

自分は『響け!ユーフォニアム』1期が上映されていた頃に現役の吹奏楽部員で、それからずっと、このシリーズを特別な感慨を持って鑑賞し続けている。京アニ事件が発生したこともあり、大分遅れての3期になったと思われるが、社会人として改めてこの作品に対峙できたのは身の引き締まる出来事だった。

5年ほど前に『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』を見終えた際に、プライベートの日記にこんなことを書いていた。

自分の場合には、トランペットパートに一つ上の代にとても上手い先輩がいた。確か小学校の時からの経験者だった。もう少し上の代にも上手い先輩がたくさんいた。

未経験でトランペットを始めた僕は、初めはそういう先輩達を手本にしていこうという気持ちが強かったけど、年が経つにつれて、自分が上手くならないことへのしんどさが募るばかりだった。そもそも、先輩に誘われて何となく始めたトランペットは、吹奏楽ではあり得ないくらい目立つポジションで、そういう花形楽器を何となく選んでしまったことへの後悔も膨れ上がっていた。目立つ失敗をすると演奏全体の印象を格段に下げてしまうことへの恐怖もあった。

その頃の記憶は墨塗り教科書のごとく消してしまっていたけど、久しぶりに映画を見て思い出して、胸がざわついた。能力で人と比べられることへの抵抗感、競争への嫌悪感みたいなものを根強く持っているのは、案外吹奏楽の経験から来ているのかもしれない、と思う。今現在の自分を一歩引いて観察すると、「僕はあなたにとっては馬鹿で無能な人間のように映るかもしれないけれど、それでもこうやってヘラヘラ生きることは出来ているぞ」というような態度を常に持っている。人を能力で見下す人間、を逆張りで見下したい、ということだ。まあ、それを口に出してしまうとただの老害になってしまうので、心の中にしまっているけれど。

とはいえ、無能なりに努力することはそれが何か具体的な結果に繋がらなくても大事だ、という考え(信仰?)は自分も持っている。だからこそ、響け!ユーフォニアムはやはり良い作品だなと思うわけです。

20歳の頃の方が自分の文章のキレが高いことに少し萎えてしまうが、それはともかく。

「競争への嫌悪感」というのは今も引き続き持っているし、それが資本主義や会社員(オス的な社会?)としてのあるべき人物像とは対立しているとは思う。ただ一方で、競争とは別軸の生き方については、多少上手く振る舞えるようにはなったかなとは思う。

今の自分を劇中のキャラクターに例えると、久石奏が近いだろうか。競争に負けるのだけれど、競争に負けていることを気に留めていない、そんな飄々とした感じ。それが理想である。