はじめに
子供の勉強を見てて、こんなことをつぶやきました。
たわいもない内容ですが、なぜかリポストされ、多くの人の目にとまりました。その反応を見て思うところがあったのでメモしておきます。
行間を読むのが大事?
わりと多かったのが、「行間を読むのが大事であり、国語はそれを訓練するものだ」という反応です。これは典型的な文章の誤読で、例えば「持久力って大事だよね」という言説に「瞬発力は大事じゃないと言うのか」というようなものです。
もとのポストは「書いてあることだけを読み取り、書いてないことを補完しない」という作業は訓練しないとできない、と書いてあります。ここから読み取れることは「普通は書いてないことを想像で補完してしまいがちであり、書いてあることを書いて通りに読むのには訓練が必要である」という主張だけで、「文章に書かれていないことを勝手に読み取るべきではない」という主張は読み取れません。
AIの読解力
先ほどのような誤読をチェックするのは典型的な国語の問題に思えたので、次のような問題を作ってみました。
以下はあるユーザのXのポストである。
「子供の勉強みてて思うけど、本当に国語って大事なんだなぁ。普通に読むと、単語だけ拾って頭の中で適当に文章を作っちゃう。「書いてあることだけを読み取り、書いてないことを想像で補完しない」って、訓練しないとできないんだ。」
この文章から読み取れることとして、以下のそれぞれの文章は正しいか判定せよ。
国語とは文章を文字通り読むことが重要であり、行間を読むべきではない
訓練をしないと、書いてあることを想像で補完してしまいがちである。
筆者は国語が苦手であり、子供の勉強を見ていてそれを実感している
国語は想像力が重要であり、単語の間の関係から文章を適切に再構成する能力を身に着けなければならない。
これをChatGPT-4oに答えさせてみたところ、以下のような解答を作ってきました。
AIの解答
それぞれの文について、元のポストの内容と照らし合わせて正誤を判定します。
元のポストの要点:
「普通に読むと、単語だけ拾って頭の中で適当に文章を作っちゃう」
「『書いてあることだけを読み取り、書いてないことを想像で補完しない』って、訓練しないとできない」
この内容から、「書かれていることを正確に読み取り、勝手な想像をしないこと」が重要であり、それには訓練が必要であるという認識が読み取れます。
判定
1. 国語とは文章を文字通り読むことが重要であり、行間を読むべきではない
→ 誤り
「書いてないことを想像で補完しない」という主張は、「勝手な想像で意味を変えてはいけない」ということであり、「行間を読むべきではない」とまでは言っていません。行間を読むこと自体が国語教育で全否定されているわけではなく、誤った補完の危険性を述べているにすぎません。
2. 訓練をしないと、書いてあることを想像で補完してしまいがちである。
→ 正しい
これは「『書いてあることだけを読み取り、書いてないことを想像で補完しない』って、訓練しないとできないんだ」という部分から直接読み取れる内容です。
3. 筆者は国語が苦手であり、子供の勉強を見ていてそれを実感している。
→ 誤り
筆者が国語が「苦手」であるとは書かれていません。あくまで子供の勉強を見ていて「国語って大事だなぁ」と思ったと述べているだけであり、自分の苦手意識については述べていません。
4. 国語は想像力が重要であり、単語の間の関係から文章を適切に再構成する能力を身に着けなければならない。
→ 誤り
この文章は、国語における想像力の重要性を強調していますが、元のポストでは「想像で補完しないこと」が大事だとされています。したがって、「想像力が重要である」とするこの主張は、筆者の意図と矛盾しています。
結論:
誤り 「行間を読むべきではない」とは述べていない
正しい 訓練しないと想像で補完してしまうという主張がある
誤り 筆者の国語力については言及されていない
誤り 想像力の重要性よりも「想像で補完しないこと」が重視されている
こちらの想定どおりの解答を作ってきました。特に1. の「国語とは文章を文字通り読むことが重要であり、行間を読むべきではない」に対して明確に「誤り」と述べているところは特筆すべきかと思います。AIは、もはや、かなりの人間よりも高い読解能力を持つにいたっているように見えます。
ChatGPT 3.5の時には、このような文章の読解能力はかなり低かったのを思い出します。以下はChatGPT 3.5と4の比較です。3.5から4になって飛躍的に能力が上がったのがわかります。3.5では、まだ文章から読み取れることではなく、「自分が知っていること」を使って文章を作ってしまいがちでした。しかし、4からは「自分が知っていること」と「文章に書いてあること」を区別できるようになったように思います。
文章を読む力、書く力
私は理工系の大学の教員であり、学生に学問を教える立場にあります。分野は理工系ですが、大学教育で最も重視されるのは「文章を読む力」そして「書く力」です。高校まではペーパーテストが多かったと思いますが、大学に入るとレポート漬けの日々になります。さらに、研究室に入ると論文をたくさん読まされ、その内容を研究室ミーティングで紹介し、ツッコミを入れられることで文章を読む力を磨きます。さらに卒業研究論文、修士研究論文を書くときに徹底的に文章を直されます。
文系でもそうだと思いますが、理工系の文章を読む時に最も重要なのは「書いてあることを、その通りに過不足なく読む」ことです。論文紹介で学生さんが発表した時、僕が「その内容は論文のどこに書いてあったの?」と聞くと答えられないことが結構あります。書いてないことを適当に補完してしまっては、正しく論文が読めません。また、文章を書くときはさらに厳しく「自分の意見と、他人の知見を区別する」ことを徹底します。論文において、引用がついていない文章は原則として自分のオリジナルの貢献、もしくは意見とみなされます。それは自分の意見なのか?それとも先行研究の内容なのか?理論から導かれるものなのか?自分の実験結果からわかることなのか?それを厳密に区別することが求められます。
これらを最初からちゃんとできる学生はほとんどいません。普通は自分の意見なのか、それともどこかで見た意見なのかをあまり区別することなく話すと思います。また、文章を読む時に、単語だけを拾って内容を補完してしまい、書いていない主張を「読み取ってしまう」のも普通です。学部ではちゃんとしたフォーマットに従って文章を書く訓練をして、研究室配属後は論文紹介や論文執筆を通して「書いてあることを書いてある通りに読む」こと、そして「自分の意見とそうでない情報をきちんと区別した文章を書く」ことを学んでいきます。
僕はずっと学生の論文紹介や論文執筆の指導をしていて、このような教育がすでに小学校の国語から始まっていることを再確認し、冒頭のようなポストをしたのでした。小学校の国語の問題集を見ると、なぜその解答になるのか、それは文章のどこに書いてあるどのような文章から判断できるかが厳密に書いてあります。書いてあることだけからわかることを読み取る訓練が、すでに始まっているのです。
おわりに
Xへのポストへの反応と、子供の勉強を見てて、また大学の学生の指導をしていて思ったことをつらつら書いてみました。ネットには上記以外にも様々な反応がありました。例えば「詐欺師でもなんでも、言ったことをそのまま信じろというのか」という反応には驚きました。発言者がどのように言ったかを正確に理解することと、それを信じることは全く別の話ですが、「書いていないことを想像しない」という文章から「書かれたものを文字通り信じて批判しない」という内容を「読み取った」のでしょうか。
私は理工系の教員であるため、「国語」にもとめるものが理系的かもしれませんが、文系でも文章をきちんと読むことは大事なのではないでしょうか?「行間を読む」のは、書いてある内容をちゃんと読めてこそ、だと思います。
昨今のAIの発展は驚異的です。だからこそ、我々人間は学び続けなければなりません。AIがなにかができるようになったからといって、我々はそれを学ばなくてよいことにはなりません。むしろ、AIが発展すればするほど、我々が「人間」であるために求められるハードルが高くなるのだと思っています。
がんばって一緒に勉強していきましょう>子供たち&学生さん達