2025年、本当に運よくNintendo Switch 2を購入することができた。しかしマリオカートワールドとか、ドンキーコングバナンザとか、カービィのエアライダーとかいった、Switch 2らしい作品は何一つしていない。ずっっっと変なゲームばかりしていた。都市伝説解体センターとか、ブラスフェマスとか。しかも普通のSwitchでプレイできるものばかり…
そしてそんな中でも、特に変だったゲームが、FAITHだ。
1986年9月21日、
アメリカのコネチカット州郊外の森にあるマーティン家に、
悪魔憑きの疑いを調査するために2人の司祭が到着しました。
しかし、家を生きて出ることが出来たのは、
司祭ジョンと、エイミーという女の子だけでした。
1年後、その決着をつけるべくジョンは再びマーティン家へと向かうが…。
(公式ホームページ より)
まあ見れば分かるよね、このルック。
むかーしむかしファミコンよりもさらに前に、アタリ2800というゲーム機があって、FAITHはそのアタリ風のデザインを用いたホラーゲーム。原色の粗いドット絵、サウンドも昔のガサガサ電子音。
だけどカットシーンやストーリーは、ホラー映画そのもの。むしろ粗いドット絵が余計な恐怖を引き立てる。マジで怖かった。
ちょっと例えが変なんだけど、庵野秀明が学生時代に作った帰ってきたウルトラマンを思い出した。庵野秀明の素顔丸出しなのに、ちゃんとウルトラマンに見える。それと同じように、昔の素朴なドット絵でしかないのにちゃんとホラー映画に見える、それがFAITHだ。
そして、このゲームのテーマは「救い」と「許し」だった。
主人公のジョンはカトリックの司祭として、悪魔にとりつかれた人々を救うことが仕事。そんな彼は、物語のはじめからずっと悪夢にうなされている。過去に救えなかった人のことをずーっと悔いて、思い悩んでいる。そうしている間にも、悪魔のカルト教団の儀式によって、犠牲になる人が増えている。カルト教団を止めなければならない。地上に降臨した悪魔を払わなければならない。でも、お前は救えるのか?あの子を救えなかったお前が?

ジョンはずっと許しを乞う。自分が救えなかったあの子にずっとずーっと「許してくれ」って言ってる。
救う、許す、ってキリスト教において人々が大切にしている考えなんだろうな。それは映画の教皇選挙を見ていても思った。
今年、ゲームだとFAITH、映画だと教皇選挙、小説だと遠藤周作の沈黙にハマりました。はい、見事にキリスト教の信仰が題材の作品ばかりです。2025年が終わるまでに、できるだけこれらの作品に対する自分の考えを深めておきたいです。