それはおまえの認識を拡張し、おまえの世界を変容させる

kakakaya
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この記事は Otaku Advent Calendar 2023 3日目の記事です。

8番出口というゲームが最近流行っている。

これは、日本の地下鉄駅のような空間を進みながら、そこに潜む異変を探して進むか戻るかを決めていくというゲームだ。

プレイヤー曰く、「現実の駅でも、普段と違うちょっとした箇所が気になるようになった」……と。これには、現実に似せた作り込みと、それを可能にした映像表現の技術向上が一つの理由だろう。

数日前、ウーマンコミュニケーションというゲームをクリアした。

一見下品なだけのゲームに思われるかもしれないし、実際下品だが、ストーリーの核心はメタフィクションSFとして丁寧かつ大胆なストーリーを描いている。ここでのネタバレは避けるが、現実世界でもふだん意識せずに利用しているものが、別の形に見えてくる効果を持っている。

……5~10年前、メタフィクションがジャンルとして流行していた。UndertaleOneshotThe Stanley ParableDDLCなどが該当する。いずれも、「作中のキャラクターがプレイヤーの行動を観察し、それに称賛、非難、あるいはルート分岐などを強制する」という特徴を持っている。ゲームが語りかけてくる、という体験は珍しかったため、一定の評価や人気を博していた。しかしこの記事の本題はメタフィクションの再興についてではない。

現実が以前とは異なって見える効果を持つもの。これがテーマだ。

Undertaleなどの名作は、ゲームであることを前提としており、この現実への影響を強く与えるものではない。なので、今回は深く言及しない。

現実の見え方に影響を与えるフィクション

歴史上、無限にあるだろうし、この記事は研究論文ではなくポエムなので思いつくものを挙げていく。

インセプションマトリックストゥルーマン・ショーなどはいずれも「現実に見える世界は、現実ではない」というところに共通点を持つ。いずれも名作だから是非内容は実際に見てもらうとして、胡蝶の夢辺りから続くこのテーマは、人類共通の現実逃避だろう。

サトラレは、「思考が勝手に周囲の人間にテレパシーで伝わってしまう」という症状を持つ人達を描く作品だ。初めてこの設定を読んだとき、もし自分がそうだったらという恐怖を感じたことは強く覚えている。そして、同時期にやたらと人の心と行動を読むのが上手い友人がいたため、それはそれは恐ろしかった。

Outer Wildsを遊んだことはあるだろうか。タイムループの設定や難解な内容で知られる作品だが、一番印象に残っているのは最初の惑星を飛び出してからそのまま宇宙空間を探索できるオープンワールド性だった。宇宙船に乗り込んでから各惑星へ着陸するまでが完全に地続きで、宇宙探索ゲーとしては斬新なプレイ感だった……のだが、このゲームを遊んだあとに夜空を見上げたときの感想が自分でも印象深かった。「あの月は近いし簡単に着陸できそうだな」と。月が見えるシーンが有名なPCアクションパズルゲームをもう一つ挙げるべきか悩んだが、クライマックスの発見と感動をスポイルしかねないのでやめておこう。

電脳コイルセカイカメラについても言及する必要はあるだろう。前者はARグラスが普及した世界を扱うアニメであり、近未来の日本で拡張現実が見える人と見えない人の差を描いた。一方後者は現実世界にそのままARタグを貼り付けるアプリで、食べログのような評価がそのまま実店舗に貼り付けられている、というのをイメージすればよい。両方ともゼロ年代に登場している。

Webサービスについて言及したので、ここで脱線してはてなブックマークのようなソーシャルブックマークについて語っておこう。これは、あらゆるWebサイトに対して外野が野次を飛ばしたりすることができるサービスだ。

この記事を書いて公開しているのはしずかなインターネットというサービスだが、

以下のようなコメントがなされている。称賛や野次、他のサービスとの比較が述べられている。

こいつは現実に存在するサービスであり、おまえの想像力に拠って立つものではないが、「ふつう見えない情報が外側に書かれていて、知らなければそれに気付くことが出来ない」というのはこの記事のテーマを理解するのによい補助線となるだろう。

新しい体験で現実を変容させる

ここまでフィクションが現実世界を変容する現象について述べたが、べつにフィクションに限らずともいくらでもある。

京都の伏見稲荷で、すずめの丸焼きを食べたことがある。

たまにピンとこない人がいるので正確に説明すると、鳥のすずめを下処理してから串に刺して焼いた、いわゆる焼鳥だ。ひよこ饅頭や鳩サブレーとは異なり、生き物の鳥のすずめを使った料理だ。味はタレ味が強く、肉より骨が多いが、一羽まるまる豪快に食べられるのはなかなか良い体験だった。

これを食べると何が起こるか?

すずめが食べ物に見える。

街にいる、エサを食べたり砂浴びをする姿など大変可愛らしいすずめだが、その肉の柔らかさ、簡単に砕ける骨の脆さを想像できるようになる。香ばしく炭火で焼き、黄金色のタレの上に山椒や七味が乗ったあの丸焼きをイメージできるようになる。身の引き締まったような夏毛のすずめ、まるまると膨らんだ冬毛のすずめ、それぞれに可愛い以外の感想を抱くようになる。

分解、溶解、理解

幼少期に何かを分解した人間は、理系になる確率が高い……という説を見たことがある。ソースはないが、少なくとも自分はそうだ。

これはわかり易い例で、一度分解して中身を見ることは、表面からは分からない仕組みを理解することに繋がり、それを実際につくってみよう、あるいは改造して別の機能をつくったり別物にしよう、なんてイマジネーションがどんどん湧いてくる。

まあ、現代の精密機器は分解したところで理解ができるものは難しいだろうが。まだソフトウェアのソースコードを読んだほうが仕組みが分かるだろう。

海の中へ行ってみたいと思いませんか

コロナ禍真っ盛りの頃、釣りを初体験した。

海岸から見える海、なんてだいたいどこも似たようなもので、せいぜい凪いでいるか荒れているか、水平線の先に島の一つでもあるか……という文字通り表面しか見えていなかった。釣りを体験してからは周囲の環境と時刻、ナブラ・鳥山の有無などから、魚がいるかどうかを推測して観察する習慣がついた。もし釣り竿とルアーがあれば、水中の流れや海底の様子を調べられる能力を得た。

今年(2023年)、ダイビングの資格を取得し、海中18mの世界を体験した。

海水浴やスノーケリングによる素潜りとは異なる、海底を探索して魚や普段みられない光景を全身で体感できる喜び。陸上の人間には不可能な、6DoFの海中遊泳。そして、一つのミスやパニックがそのまま死につながる恐怖。

これらの経験で、メトロイドヴァニアのようにできることが広がる万能感と、見えていなかったし意識してこなかったものへの想像力が高まったのを感じている。

それで、なにが嬉しいのか?

新しい世界の見方を得たことで、なにができるようになるのか?

文字通り、新しい世界が見えるようになる。ゼイリブではないが、「いままで通り」「ふつうの生活」をしていては見えないものが分かるようになる。

別に、それでなにかをしろ、なにものかになれ……なんてことは言わない。だが、1つでも多く他人と違う視点を持てるのは、きっと面白そうだと思わないか?

@kakakaya
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