目的と手段という言葉を公共の場で使わない

kakka
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共通の目的を持った仲間以外で、「〇〇は手段だから」と言わないように気をつけている。

この言葉は軽いdisのニュアンスを含んでいて、目的に比べれば手段は些末な問題ですよと暗に伝えているようなものだ。

  • 成功した人生を送る目的のために、手段としていい大学・いい会社に入る。

  • ビジネスゴールの達成を目的に手段としてプログラミングをする。

目的が同じ仲間であれば、手段と目的を定めることで優先順位付けの効果がある。「手段に夢中になるべきではない」という意思決定を仲間内で行える。

しかし、全ては入れ子になっていて、その時にその人が何を目的にするかは千差万別である。

  • いい大学に入る目的で、手段として勉強をする。

  • プログラミングの上達を目的に、手段としてコンピュータサイエンスの勉強をする。

  • 生きがいを感じる目的に、手段としてビジネスゴールを達成する。

「なんで、ビジネスゴールなんか目指してるんですか?人と関わって善行を積めば、生きがいは充分得れますよ。金だって他の方法でいくらでも工面できますよ。」と言われたらイラッとすると思う。

その人の一生から、全人類から、100年後の世界から俯瞰で見た時に目的そのものの優劣が希薄になるとするなら、こんな言葉に意味はない。

「私は〇〇より△△に価値を感じます」それだけである。

言いたくない言葉だ。