さああ、と霧雨が降っている。
振り向くと、森の真ん中に扉だけがぽつねんと立っていた。
ぬちゃぬちゃと跫を立てながら獣道を行く。
暫く歩くと、獣道は二つに分かれた。
私は少し迷った後、なんとなく右に行くことにした。
「僕は右を行くよ」
「じゃあ、僕は左を」
鬱蒼とした森だ。地面には、何やらよく分からないうねうねとした茸が生えていて、その近くに大きな芋虫が這いつくばっている。多分、あの茸は不味いだろう。視線を少し上げると、いくつもの背の高い木に、いくつもの蔦が這っている。見上げると、遥か上空に木の先端と葉が見えた。空に届きそうなほどの高さがある。時折風が吹いて、バキバキと音を立てながら木が撓った。
唐突に、開けた場所に出た。
私の顔より一回りも二回りも大きなフキの葉(らしきもの)がわさわさと生えている。その葉の上にはやはり芋虫が居て、静かに葉を食んでいた。
更に進むと、人工的に拓かれたと思しき場所が見えたので、そちらに足を向ける。
そこはどうやら果樹園のようで、りんごによく似た実がたくさん生っていた。瑞々しい見た目をしている。手に取ると意外と柔らかく、どちらかと言うと桃を連想させた。
チェッカーの針を刺してみる。無毒。糖度十四度。
いくつかもぎって、鞄に入れた。
やっと気がついたのだが、前に進むたび、時間を早回ししたように太陽がどんどんと沈んでいっている。後ろに進むと、太陽が逆行して昇る。ここはとても小さな星なのかも知れない。
夜の空間を通り過ぎると、入ってきた時と同じ扉に辿り着いた。
椅子を展開して、相棒が戻ってくるのを待つことにした。
マスクを外し、先程の、りんごだか桃だか分からない果実に齧り付く。じゅわ、と果汁が溢れて、頬を伝い、首まで濡らした。
確かに甘い。甘いということしか分からない。何にも似ていない、独特な味がする。
「あ、いいな、おいしそう」
「おお、おかえり」
相棒に謎果物を手渡す。
「うん、うまい」
ふたりで一頻り味わった後、扉を抜けて廻廊に戻った。
鉄製の扉に手をかける。
鍵がかかっている様子はないが、押しても引いても動く気配が無かった。
扉の内側から、低い唸り声が聞こえた。獣の声だ。
その扉はやめておくことにした。
実に平凡な戸を押し開けると、急に銃撃音がした。咄嗟に身を屈める。しゃがんだまま進むと、廃ビルのような空間に、オフィスで使うようなデスクや椅子が乱雑に放置されていることが分かった。
「ペンタリウムが欲しければ、割れない星屑を用意しろと言ったよなあ?」
──割れない星屑。私が持っているものだ。
スーツを着た者が、向かって右手のデスクに腰掛けている。
左手には数人の武装した集団。
「そんなもの有る訳ねえだろ!」
武装集団のリーダーが吠える。
「この廻廊で見つからないものはないんだよ」
「無かったもんは無かったんだよ。だからこうして力づくで奪おうとしてんだ、分かんねえのか?」
「交渉は決裂って訳だな。いいよ、かかってきな」
腹に響く爆発音。
次いで、バラバラバラ、と銃撃音が鼓膜を震わせる。
「なんだ、サンペリアの実力はこの程度か」
スーツの者が散弾銃を手に走り回る。度度ワープを挟んでいる。道理でなかなか当たらない訳だ。
ひとり、またひとり、サンペリアと呼ばれた者たちが倒れていく。
私は相棒の肩を叩く。
「どうする」
「やってみようか」
「オーケー」
鞄からライフルを取り出し、狙いやすいポイントを探す。
相棒はハンドガンを手に、すいすいとデスクの間を縫って対象に近づいていく。
「こんにちは」
「何者だ!」
「しがない|探索者《シーカー》さ」
「なんだ、盗人か。貴様、私を誰だと心得ている」
「さあね。ところでさ、実は僕、その割れない星屑ってやつを持ってるんだけど、交渉する気はあるかい」
スコープを覗き、対象に照準を合わせる。
「ほう、見せてみろ」
対象の意識と視線が相棒に向く。
その瞬間、世界は私と相棒だけのものになる。
──空気を裂く弾丸の音。
崩れ落ちる対象。空気を求めて、金魚のように口をぱくぱくと動かしている。その動きも次第に緩慢になり、遂には動かなくなった。
──気分はどうだい?
──息が、ああ、助けてくれ。
──質問に答えたら助けてあげよう。まず、あなたは何者?
──ドミ・サンジュ。華族崩れだよ。廻廊の宝でなんとか糊口を凌いでいるだけだ。
──サンペリアって?
──お前たちの同業者だ。徒党を組んでやってるんだな。
──じゃあ最後に。あなたの依頼人は?
──それだけは言えないな。
──なら、助けてあげられないな。さようなら。
──待て、待て。ヒントくらいなら出せる。お前たち、流石に元皇族くらいは知っているよな? あのうちのひとりだ。
──そっか、ありがとうね。
私は対象に蘇生処置を施し、記憶を削除したあと、相棒と共にその部屋を後にした。
「あ、これのこと聞くの忘れてたや」
相棒の手には、ペンタリウムと呼ばれた物が収まっていた。名前の通り、五角形の箱型である。
「それ持ってきたの。要るかあ?」
「いやあ、面白そうだったから」
「偽物じゃないの」
「君は相変わらず鈍いなあ。これは本物だよ」
「ふうん。これはなに、箱かい」
「そうみたいだね。──ん、鍵穴がある。開けてみてよ」
私はマスターキーを取り出し、鍵のサイズを調節して差し込む。
かちゃり。
鍵が開く。
かたん。
蓋が開く。
私は中を覗き込む。
宇宙だ。
宇宙がある。
虚無なんかじゃない。
そこには〝全て〟がある。
星と目が合う、
星と目が合う、
星と目が合う。
星が囁く、
星が囁く、
星が囁く。
──あなたには知る権利がある。
──あなたには得る権利がある。
──あなたには使う権利がある。
何を。
──生命のかたちを。
──生命の触り方を。
──生命の決定権を。
そんなもの、
そんなものは私の身に余る代物だ。
──いいえ、そんなことはありません。
──いいえ、あなたは得るべきです。
──いいえ、あなたは使わなければなりません。
視覚をぐにゃぐにゃとした模様が支配する。
聴覚をぐじゃぐじゃとした音が支配する。
味覚を、
嗅覚を、
触覚を。
──〝何か〟を理解した。
「おい、おい! 大丈夫か」
鼻血だ。
頭がくらくらする。
「──君、これを覗いちゃあならないよ」
「一体何を見たんだい」
「宇宙を、宇宙を視たよ」
「君も視てしまったのか」
「そうか、君のその目は、そういうことだったのか」
相棒の目を見る。
真紅に輝く、うつくしい瞳だ。
私の目は、一体どんな色をしているだろう。