よくある話。私たちには見えない上位存在がこの世界を見ている。動かしている。
私という人間を操作している誰かがいる。
そんな話。
実際そうなのではないか?と昨日ふと思った。
といっても、私を操作するのは「誰か」ではない。
私自身だ。
”本音”と”実際”をはっきりと切り離した考え方がこれだ。
正確に書くとすると、”本音”と”実際”が現実として存在している私と同じ座標にいて、”客観”は相変わらずその少し後ろから二人を見ている。
操作を担うのは”客観”である。しかしそれもまた私の思考の一部。
人生は自分という人間を自分で操作するだけ。
(脱線)操作!やっぱこの世ってゲームみたいだよね。人間がゲームを作ったのだから逆なのかも? ゲームはこの世みたい…違うな。ゲームの定義を「この世が単純化された形態」とするとどうだろうか。自分が考えていたより世界が単純であると感じたとき人は「この世はゲームみたい」と感じるのかもしれない。
それは自律というやつだ。それができたら苦労しない。
自律する上で邪魔になるのが、眠たいからもう少し寝たいだとか、今ちょうど面白いところだから観たいとか、 これなんて呼ぶんだ 生きてる感じがして面白いこと(後に不利益なことが起きる面白くないこと、でもある)。なくせたらいいけど、きっとなくならないし、解決するための方向性が間違っている気がする。あとそれって人間らしさだからなくさなくてもいいんじゃない、とか。
完璧主義で理想主義なところがあることは自覚しているつもりだ。すべて解決して、不安をゼロにしたい。その気持ちが消えない。
不利益はいやだから。
でもこれは一度通った道のはずなんだ。解決ではなく対策をしろと。(いまんとこメモのみで本文がない!記事がここに入る!かも)
現時点の対策:マジで優先度の高いもの以外無視してみる
実行だ!某サイクルを回してみるか
人生ぜんぜんわからん
ところでしずイン、書いているとPCがかなり重たくなる。キーボードが熱い。メモリ使用量が跳ね上がる。何故。