酷い夢を見た。夢の中で目を覚ました。ひどく汗をかいていたことを覚えている。身体を起こしてみると、そこは10畳もある大きな和室だった。四方が障子に囲まれている。昼下がりなのだろうか、外からは白い光が差し込んでいる。障子の影が室内に満ちていて薄暗い。締め切った室内は湿気で蒸し暑い。暗さと湿気が川底を想起させた。いつの間にか子どもに戻っていたワイトは行かなきゃ、と思った。今まで意識外にあった蝉たちがミンミン、ジワジワ、と声をあげて主張し出した。その声がワイトの焦燥感を掻き立てた。背中に畳の跡を残したまま障子を開けた。障子の向こうには真っ暗な廊下が続いている。壁にかかった絵画も、廊下に置かれた電話代もすべて影の中だ。廊下の向こうに四角く区切られた白い光が見える。ワイトは廊下を進み、昼光を差し込む玄関の戸を引いた。影に包まれていた玄関に光が溢れ出した。
外に出た途端、呆然と立ち尽くした。通りがいつもと違う。全く見慣れない風景だ。緩く下っていく坂道も、赤いポストも、人1人いない寂れた商店も一切見覚えがない。ではどんな風景なら見覚えがあるんだ?と聞かれると答えられないのだが、とにかくここは自分の知っている場所ではないと確信した。振り返って家に入ろうとすると、すでに見知らぬ家だった。廊下には電気が点っていて、よく磨かれた床板が輝いている。自分が異物だと気がついたワイトは急いで家の門から出た。道の真ん中で立ち尽くす。空は高く、ワイトをバカにするかのような青さだった。太陽がつむじを焦がす。自分が裸足なことに気がついた。焼けたアスファルトが足の肉に食い込む。精神も子どもに戻っていたワイトは心細さに泣きそうになった。目を閉じたとて、太陽の光が網膜に届いた。ワイトはきっと行けば帰れるはずだ、と奮い立たせ、坂道を下っていった。道脇の商店を越え、遠く見える田んぼを越え、アスファルトに影を落とす竹林を超えた。アスファルトは容赦なく足に食い込み、少しずつ肉を抉っていく。僅か10年ぽっちしか地面を踏んでいない柔らかい肉に血が滲む。痛い、熱い、痛い、熱い。泣きながら坂道を下っていった。
気がつくと川のほとりにいた。幅5メートルくらいの小さな川だ。川上には子供の背丈くらいの小さな滝があり、どうどうと水が流れている。滝の上には真っ赤な橋が架かっており、その上を大勢の人が渡っている。どうやら橋を渡り、向こう岸にある神社に行くのが目的らしい。そしてその神社こそがワイトの向かうべき場所だと確信した。観光客らしき人々に混ざり、橋を渡った。向こう岸に辿り着くと、川に沿ってままごとみたいに小さな鳥居が建っているのが見えた。鳥居の奥にはドールハウスのような小さな祠がある。川岸に下りて川沿いに歩くと、一箇所大きな水溜まりがあった。そこだけ地面が低く、川の水が流れ込んでいるのだろう。水がどうどうと渦を巻いている。そこを通らなければ神社には辿り着けないらしい。女性二人組の観光客は談笑しながら水たまりの中にばちゃばちゃと入っていく。彼女たちの膝くらいまでが水に浸った。それでも彼女たちは進み、神社にお参りして何もなかったようにもと来た道を引き返した。ワイトは行くのを躊躇っていたが、背後の道に人がつっかえて来たのを感じたため、意を決して水たまりの中へ足を入れた。瞬間、割れるような頭痛を感じる。眩暈がする。目玉が飛び出そうだ。アスファルトに焼かれた足に水が染みる。「ギャア!」と悲鳴をあげそうになるが、一度声をあげたら嘔吐しそうになり、必死に耐える。腰まで水に浸る。「あーあー、ダメじゃん」前にいた観光客がワイトに笑いかけた。ワイトは水溜まりから足を踏み外し、川に落ちていった。そこで目を覚ました。