昨日付けでめでたくニートになった。という訳で暇を持て余したワイトは、ひたすらコンテンツを消費する化け物に成り果てた。昨晩から小説を3冊とアニメを30話ほど見ている。経過する時間を尻目に、なんの罪悪感もなくコンテンツを摂取できるの、サイコー!と自由を噛み締める幸せな生活を送っている。しかし一気に作品を取り入れた弊害も起きている。明らかに脳が追いついていないのだ。次から次へと反芻するままなく物語を見ているため、ほとんど脳が物語を記憶しない。例えば毎週見ているアニメだったら、1週間かけてあのシーンのキュアスカイがどうだのここのキュアスカイの作画がイケメンだのここのキュアスカイの声が好きだのじっくりと作品を噛み締めて消化できる。よく噛んだ分、しっかりと栄養を吸収できている気がする。摂取する栄養が偏り過ぎていたせいか、ワイトはすっかりキュアスカイの夢女になってしまったわけだが。それはそれとして、この一日を振り返っても、例えばストーリーの大まかな軸は覚えていてもキャラクターの名前や固有名詞、細かいシーンなどが朧げだ。サブスクを契約するまでは作品を一気見することなど滅多になかったため、突然の吸収量に脳がバグっているのかもしれない。明日は少し休憩しようかな、と思いつつも見たい映画やアニメ、小説が溜まりまくっている。さらにただでさえ本棚が溢れているというのに本を5冊買い足してしまい、ベッドの上に散乱している。先日は散らばった本のことをワイトの怠惰そのものだと例えたが、今日はワイトの脳内に例えよう。何もかもがキャパオーバーしている。これがサブスクの洗礼か、と現代のサービスに恐れ慄いている。
ところで、このままだと文字通り本に囲まれて寝ることになるのだが、側から見たらちょっと幻想的な光景にならないだろうか。本に埋もれて死ぬ絵画とかイラスト、探せば全然ありそうだ。想像してみてほしい、本が溢れるベッドの上で冷たくなっている死体の絵を。なかなか物語性を感じて美しくないだろうか。オフィーリアが好きなワイトには物凄く刺さる絵だ。美と退廃が交わることでエモが生まれる。ワイトは今、ベッドに横になるだけでそんなエモピクチャの世界の住人になれるかもしれないのだ。惜しむらくはベッドのシーツが汚いこと、本が洋書ではなくゴリゴリ日本語の文庫本なのでいまいち重厚感に欠けること、あと囲まれているというには本が少ないこと、そして一番の問題は中央で死んでいるのが小汚いサボテンという点だ。ちっとも惜しくなかった。減点が多すぎる。初めから順番に-5、-10、-5、-1000000000000くらいの減点だ。美少女が洋書に囲まれ、石膏のように死んでいたらそれを目撃した画家によって一枚の絵画になるだろう。しかし、サボテンがトゲだらけの汚いシーツの上で本に囲まれて死んでいてもそれはただの腐乱死体だ。死んで2週間くらいした後に異臭を放ったことでようやく隣人から通報が入り、大家と警察に発見されるのだ。後に目撃した警官により、「嫌なもん見ちまった」と飲み会の席で一瞬のネタとして消化されるのだ。なんてことだ、サボテンはおちおちエモい死に方もできない。できるだけ迷惑をかけない死に方を目指そう。思いついたことをひたすら書いていたらなんの話をしているのか分からなくなってきたのでここで終わり。きっとコンテンツの見過ぎで頭がおかしくなっている。摂取し過ぎた情報が消化不良を起こし、腹を壊しているのだろう。寝れば少しは治るだろうか。