住んでいる街にお別れをした。花束を贈ったわけでも、告別式を開いたわけでもない。ただ朝から夕方まで長い散歩をした。馴染みのある場所や好きな店をぶらついた。喫茶店に行き、公園を通り、図書館に寄って、夜ご飯を食べた。特別なことは何もない、いつも通りの日曜日だ。しかし、常に「ここに来るのはこれが最後だ」という漠然とした予感があった。その予感がカメラのフィルターのように、いつもより景色の輪郭を克明にしていた。予感がどれほど信用できるものかは定かではない。長期休みにはいくらでも帰ってくることができる。なんなら日帰りだってやろうと思えばできる。そのはずなのに帰れない気がするのは、ワイトが抱える不安のせいだろうか。
人は思考や価値観が積み重なり、アイデンティティとなり、その人自身となる。思考や価値観は、経験や思い出から形成される。ワイトの中にはこの街で生きた記憶が積もり重なっている。そこの公園は夏休みの間、サークルの練習をしていた。暑くて、いつも自販機でコーラを買っていた。朝が手のひらに滲んで上手く道具が持てなかった。そこのショッピングモールは何度も友人と遊びに行った。空いているから、という理由で入ったカレーが美味かった。「楽しいね」と笑う彼女の顔を今でも覚えている。そこの港はワイトの精神が一番不安定だった時、何時間も潮風に当たっていた場所だ。どこか遠くへ繋がる海が憎くて羨ましかった。視界に入る全ての風景が記憶とリンクする。この街の記憶が学生時代のワイトのアイデンティティを形成している。この街こそが若かったワイト自身だ。街を離れることは、あの頃の自分を捨てることになるのかもしれない。その恐怖が不吉な予感に繋がっているのだろうか?
通る道、訪れる場所、それぞれに思い出が付随する。目の前の風景に、二度と戻れないあの頃を投影する。歩き回るうちに現実が薄れ、夢の中を歩いているような気分になった。不吉な予感と懐古がないまぜになった切ない夢。今は無いものを盲目的に追い続けるワイトはまるで幽霊のようだ。夢遊病のような感覚も、足がないせいかもしれない。ふわりふわりと宙を舞いながら考える。このまま上空まで飛び、街一面を見下ろす。その時感じるのはあたたかい懐かしみだろうか。それとも別離への寂しさだろうか。知りたくはなかった。日が傾く。そろそろ帰らなければ。あと少しだけ引越し作業が残っているのだ。ワイトは現実へ帰還する。二本の足で地面を踏み、自宅へ戻っていった。空は藍色に澄み切っていた。