日々の生活におけるささやかな幸せとはなんだろう。それは当然人によって違う。例えば食事の時間が何よりも幸せな人だっているし、30分程度の入浴に癒しを求める人もいる。社会は厳しい。いまだ社会に出ていない孵化直前のワイトですらそう思うのだから、実際は嵐の如き厳しさなのは想像に難くない。そんな社会の中で身と心を痛めつけられたとしても、明日も生きていたいと思わせる幸福な時間が毎日どこかしらに存在しているはずだ。その幸福こそが価値観であり個性そのものだとワイトは思う。ではワイトにとっての幸福とはなんだろう。そう考えた時、真っ先に思い浮かぶのは「入眠」だ。「睡眠」ではない、「入眠」だ。ワイトは睡眠自体は割とどうでもいい。そう思っているからこそ平然と夜更かしをするし、寝る直前にスマホを弄って睡眠の質を下げに下げまくる。睡眠環境だってどうでもいい。枕が変わると眠れない、という人がいるがワイトは真逆だ。シーツの清潔さとか枕の柔らかさとかは一切気にならない。ベッドは硬くてもいいし、枕は無くたって構わない。病院の硬いベッドもビジホの狭いベッドも大歓迎だ。むしろ非日常感が楽しいまである。それに寝床は別にベッドである必要もない。ワイトはフローリングの床の上でも夜行バスの窮屈な座席でも熟睡できる。きっと棺の中でもぐっすり眠れるだろう。
そんな睡眠に無頓着なワイトだが、入眠時にはこの上ない幸福を感じている。入眠と言ってもただ目をつぶって意識を失うのを待つのではない。空想しながら眠るのだ。前にも日記に書いた気がするが、例えば環境音を聞きながら眠る。環境音に合わせて空想をする。宇宙船の音を聞いた時は自分は宇宙船のクルーだと、放課後の教室の音を聞いた時は高校生の時にタイムスリップしたのだと、海の音を聞いた時は自分は水死体なのだと空想する。音を聞きながら設定に合わせてRPをする。現実のことは全て忘れて思考を空想に合わせる。そのまま眠りに落ちていくと覚醒と睡眠の境目で自分が何者か分からなくなる。妄想が脳内で溶け、事実を塗りつぶしていく。
自分は今海の中にいる。仰向けになったまま海の底へと沈んでいっている。差し込む光が水面を美しく輝かせている。どうしてだったかな。そうだ殺されたんだ。どうやって?胸を刃物で刺されて。想像する。胸から噴き出る血が海を赤く染めていく。赤い潮流が海面へと上がっていく。この出血量じゃもう助からないな。一つの命を繋いでいた血はエントロピーに従い海に溶けていく。そこにワイトの思想とか哲学とか心は関係ない。ただ全宇宙を支配する物理法則があるだけ。科学のこういうところが美しいと思う反面、苦手だと感じるワイトはきっと理系に向いていないのだろう。初めは激痛を感じていたが、流れる血を見ているうちに痛みは消えてしまった。もうじき死ぬのだろう。周りを見回す余裕が出てくる。目についたのは海面だ。光が降り注いでいて青く輝いている。ゆらめく水面は光を乱反射し、切子細工のガラスのようだ。できるだけ血潮が視界に入らないように首を逸らす。このまま沈んでいっていってくれるだろうか。ワイトは鯨の死体の変遷が好きだ。海底に沈んだ後、大型の魚に肉を食われる。次に中型に、小魚に舐めるように食われる。それから骨にバクテリアが棲みつき、何十年もかけて文字通り骨の髄までしゃぶられる。深海の世界では餌が少ないため、鯨の死骸は大ご馳走だという。一頭の鯨の死が何万の命を繋ぐことに食物連鎖の厳しさと美しさを感じてワイトは好きだ。ワイトも鯨になれるだろうか。いや、たった2.4メートルの骨なしサボテンじゃ魚たちも満足しないだろう。それでもただ腐る前に、食べられたいものだ。そう思いながら意識を手放す。
このように眠りにつくとなんだか強い幸福感に包まれる。そのまま水死体の夢を見ながら朝を迎える。少し例を出すだけのつもりだったのだが予想外に長くなってしまった。こんな感じで毎晩妄想をしながら眠っている。妄想ならいつ何時でもできるのに、なぜ入眠時の妄想はやたらと幸せに感じるのだろうか。空想が夢に繋がるためだろうか。
突然だが、ワイトは夢をもう一つの現実だと思っている。ワイトたちは脳で世界を認知し、思考する。脳が認めた世界こそがワイトたちにとっての現実だ。側から見れば突飛な世界も狂人本人にとっては大切な現実だ。人々の諍いはこうして脳の認知の差で生まれる。争いは当然起きる。生きてる世界も見えてる現実も違うのだから。それはそれとして、つまり脳が作り上げた夢は本人にとって現実に他ならないのだ。夢の世界だとどんなにおかしなことが起きても受け入れてしまうのがその証拠だ。それこそが正常だと脳が認知しているのだから。何が言いたいかというと、入眠時の空想は夢に似ているのだと思う。脳が機能不全を起こし、微睡んだ状態で見る非現実。ワイトは空想することで自分の理想の世界を作り上げているのかもしれない。睡眠に至るまでのわずかな時間、空想は現実になる。ただの空想じゃない。1日数分間だけワイトは宇宙船クルーになれるし高校生になれるし水死体になれるのだ。それが楽しくて幸福を感じているのだ。虚しいことには気がついている。それでも辞めるつもりはない。冒頭でも言ったが、ワイトにとっての「明日も生きていたいと思わせる幸福」はこれなのだから。ここまで書いて気がついた。空想の共通項を一つ見つけた。全てワイト本人と大きく乖離している。クルーも高校生も水死体も「今」のワイトではない。どこにも今のワイトはいない。痕跡ひとつない。ワイトはワイトでなくなる時間を愛している。それはすなわち、ワイトはワイトであることが不幸なのかもしれない。ワイトの消滅こそがワイトの幸せなのだ。ならば、今夜はどうやってワイトを殺そうか。