Prologue
お母さんの車に、納品したフレームつきのNEXTが乗らなかった。
「これから学校に送っていくので…」とおっしゃったお母さんの後ろをついていき、学校用と家用の座位保持をそれぞれお届けした。
お母さんの車の後ろをついていってるとき
"スペシャルニーズのあるこどもたちの保護者ってどう考えても大変だよな、だって健常児だったら歩いて一人で登校して送り迎えなんていらないもんな"
と、当たり前のことをぼんやりと考えた。
わざわざ病院に何度も足を運ぶ。
何年も同じことをやるけど何年もできるようにならないようなリハビリを受ける。
周りのママが働いてるときに、こどもの世話をする。
本当にお母さんたちは心も身体も大変なのだ。私が想像を絶するくらい。
肢体不自由児の保護者は、常に頭がフル回転なのではと思う。
いろんなことを考えて、効率よく行動して、睡眠時間を削って、自分が楽しいことや好きなことをやる時間なんてもちろんなくて、ふと気を抜いたら命を落としてしまうかもしれないこどもを必死に守りながら生きている。
「健康に生んであげられなくてごめんね」という思いを胸にひたと隠しながら、一生こどもの面倒を見る。
「どんな人でも使える」ものとは。
ポップンやかめリハに来る方々は、いろんなことを調べたり口コミを聞いたりして情報を持って来る、言わばリテラシーの高い方だと思う。そしてもちろんすごく困っている方。
以前訪問看護ステーションで勤務していたとき、「えっ?!」というご家庭もあった。本当に「えっ?!」という状況がたくさんあったのだ。
ときにはこれって児童相談所だよね、警察だよね、ということも。
保護者の方が発達障害があったり、なにかしらの生きづらさを抱えているご家庭にその傾向が強かった。
*
環境調整のプロフェッショナルを目指し始め、こどもを見たときの視点が少しずつ以前の理学療法士としての視点から変わってきている。
前提として私たちはとても個別性の高いものを作っている。
「障害児」という世界が本当に千差万別、十人十色、マーブルでレインボーなので"その子にあったものでなくてはいけない"からだ。
眼の前の一人のこどもを見ることももちろん大事なのだが、(というかすべてはそこからスタート)
その上で、これから商品を作ったりモノを届けたりするときに、「どんな人でも使える」を意識していかなくてはいけないのではと思う。
(ここでいうどんな人でも使えるっていうのは、インクルーシブとか、ユニバーサルデザイン的な考えとはちょっと別ニュアンスです)
構造が難しいものは、どんなに性能が高くても使いにくい。
使いにくいと使われない。
私たちがものを届ける相手は理解度が高い人も低い人ももちろんいる。
そう考えたとき「どんな人でも使えるもの」を作るということはかなり難しいものではないのか。
どんな人でも使える、というのはすべての仕組みを理解して解像度をかなり高くした行動。
そしてふと私は気がついた。。。。。
これは、、、もしや、、、
しゅ、、、、シュクレ、、、、、、N。。。??
シュクレ、、、、バギー????
シュクレ、、、、は、、、ハイブリット、、、、????
わかっているようでわかっていなかった。
「難しい構造を簡単にすることってすごいこと」だということ。
そしてそれをむらかみさんが考え続けているということを。
キッズフェスタで密かに目論んでること
今日から関東入り。明日明後日は関東キッズフェスタ。
みなさん準備本当にお疲れ様でした。精一杯やってきます。
ハイブリット試乗してもらう、商品の説明をする、のももちろんなのですが密かに私は「さり気なく抱っこめっちゃさせてもらう」ことを目標にしてます。
・土台を作る
・上をコントロールしようとしない。下から作る
・胸郭の後方シフト→首の軸を作る
・こどもに何が起きてるか見る
・ハイブリットに乗って、抱っこして、「もしNだったらどうなってた?」「Nで倒したり起こしたりしたらどんな現象が起こる?」って予測をたてる
・抱っこが目的にならないようにスマートに行動する(一番は試乗!)
目指せ抱っこ1000本ノック!オラ、パワーアップすっぞ!!!!!