◎Prologue
アシストで業務を終えてそそくさと帰ったあと、基本自分の事業の仕事を行う。オンラインでこどもを見たり、悩める保護者にDMやLINEを返したり、情報発信をしたり、あとは教育事業を行っている。
先日、自身の教育事業「かめスク」にて講座を終えたあと、受講生から
『かめきち先生が大阪のイントネーションになってました🤣』と書き込みがあった。
おそらく私は関西弁になったというよりも、むらかみさんの話し方がうつってきたのではないかと思う。
なぜなら、毎朝むらかみさんのセミナーを聞いて日中はむらかみさんと会話をして帰宅後はむらかみさんの言葉を反芻してこのようにアウトプットするからだ。
最近、一人でいてなにかうっかりなことがあると私の頭の中のむらかみさんが「ほんまアホやな!」と言ってくる。
今日なんか帰り道加賀谷米店?のところにむらかみさんが立っていて思わず『むらかみさーん!』と叫んだ。違う人だった。
それくらい今の私はむらかみさんから学びたくて必死なのかもしれない。出会った頃とは比較できないくらい。
◎「痛いのかもしれない」という目を持つ
臨床の現場にいた時代、こどもをみたときに
身体がなんとなくつらそうとか、呼吸が苦しいとか、具合が悪いなどは予測を建てることができていた。ただ、そこから「どこがどんなふうに辛いのか」「どこがどんなふうに苦しいのか」「それはいったい何から起こるものなのか」まで深く考えられていなかった。
ましてや骨盤と肋骨があたって痛いので回旋させて逃がし、側弯が進行するなんていう明確なストーリーの仮説が建てられた試しはなかった。
なぜかというと、「そこまで深く考えられていなかった」からだ。
むらかみさんは目の前の現象を把握し、なぜそれが生じるかを仮説を立てまくって、立証しまくる。
その仮説があっていればそれに対して環境設定という対応策を取るし、
その仮説があっていなかったら別の仮説を建てる。いや、建て続ける。
終わらないのだ。やまないのだ。
考えることを、仮説を建てることを決して止めないのだ。
先日の相談会で、家でそれはそれはうまく座れないお子さんの動画を見せていただき、もしかして「痛いのかもしれない」という仮説が立った。
そして痛いのかもしれない部分を痛くないようにするとスッと穏やかになり上手に、座ることができた。
◎痛いって言えないってどんな気持ち?
私は痛がりだ。正確にいうと「心配してほしがり」なので、ちょっとつらいとすぐに人に心配してもらえるような行動を取る。
きっとそれは私が小さい頃身体が弱く、すべてのつらい気持ちを母におしつけて受け入れてくれた経験があるからかもしれない。
当時私は痛いときは痛いと言えた。苦しいときは苦しいと訴えられることができた。これが言葉として言えなかったら、どうだっただろう。
最初はもがき苦しみ、わかってよと叫び、訴え続けるがそれでも周囲に伝わらなかったらやがて孤独を感じて、自分はこの世にひとりぽっちのような気持ちになり、、、すべてを諦めていたのでは、、、
と想像してしまった。
そうか。「痛い」って言えないって、こんな気持ちなのかもしれない。
だから「ここが痛いのかもしれない」という目を持って、
「じゃあこうしよう」と痛くない抱っこをしてくれるむらかみさんはこどもの強烈な印象に残る、安心できるおっちゃんになるんだ。
◎Epilogue
考えることを辞めない
辞めないことを辞めない。
明日から関東だ〜!次は4月16日。
⇣先日かめスクで話した内容