Prologue
まるで修行中の孫悟空のようだ。
数々の敵と戦って、「オラつええぞ!」と天狗になっていた悟空が
後の師匠となる人物に食って掛かりコテンパンにされ、
自分の弱さに驚愕する。そして始まる過酷な修行。
「見てない」「聞いてない」「知ろうとしていない」
これをむらかみさんに言われたのは今日が初めてではない。
ただ言われた回数はあまり多くはない。(多かったらすんません、まさに聞いてない)
言われてないだけで、むらかみさんはこの数年、ずっっっっと思っていたのでは無いかと思う。
かめきちは見てるようで見ていない。
かめきちは聞いてるようで聞いていない。
かめきちは知ろうとしてるようで知ろうとしていない。
根本的にここを解決していかないと、一向に進めなさそうなのでちゃんと整理します。すみません。
「見てない」「聞いてない」→「理解しようとしていない」
むらかみさんのやっていることや、こどもの姿が目にはうつっているけど、
むらかみさんの話す声や説明が音としては聞こえてきてるけど、
それがなんなのか理解しようとしていない。自分のモノにはしようとしていない。
これには大きな2つの原因がありました。
①「だってわかんないんだもん」スタンスがある
②自分がその場に一人でいる想定ができていない
解説します。あー辛い。あー恥ずかしい。
①「だってわかんないんだもん」スタンスがある
まず、私は理屈や理論を解釈してから、セオリーを知ってからではないと自分の思想を広げられない、行動にうつせない傾向があります。
これの原因はおそらく失敗を恐れているからです。そしてセオリーを知ってから行動に移したことによるなまじっか成功体験と勘違いしているものがあまりに多すぎるから。
それによって『あ、これ私知りませんわかりませんだから今自分のやるべきことじゃありません』スタンスになってしまう。
ちがう。私がいる現場はそんな授業みたいな、コレ習ったから次コレ、コレ習ってないからわからないよね、ではないんだ。人間の人生や日常を見ているんだ。自分の学んできた範疇の物差しではかってはいけない。。。反省
②自分がその場に一人でいる想定ができていない
むらかみさんはいつも
「じゃあこのとき自分一人だったらどうする?」
「正解(むらかみの行動)に当てはめると、途端にわからなくなる」
と言う。まさにそのとおりです。そのとおりなのですが、なぜか
むらかみさんが目の前にいると一つのドラマを見ているような傍観者になってしまう。そして思考停止してしまう。それくらい「正解」を見ているような気分になるからだ。
「自分一人でいるかもしれない」という世界に埋没できてないのだ。
網膜でみているだけだと、一生この見方はできない。すべてを自分ごとに。
アクションプラン
*むらかみさんが結果を見せてくれるうちにやること
BASE:「今、じぶんだったらどうするか?」
・現状何が起きているかを見る、言語化する
・どこを削ったり足したりしなくてはいけないのかを考える、言語化する
┗そのためには背中に手を入れてあたっているところと空いているところを感じる。削ったり足したりしているところを見る
今の私は、圧倒的に現状把握と試行錯誤が足りない。もちろん知識も。。。
失敗を恐れるという自分の弱さからくる正解へのしがみつき。どうせ色々失敗してる人間なんだから今さら失敗を恐れるのではない。ていうかそれは失敗じゃないよ。失敗にダイブできないほうがよっぽど失敗だ。
Epilogue
孫悟空はかめはめ波を亀仙人から教えてもらって出したのではなく、亀仙人のかめはめ波を見て自分なりにやってみたら「ポッ」と火が出た。
そこから体を鍛え上げ、様々な戦闘をくぐり抜けあの最強のかめはめ波になったのだ。