母が滞在している。
昨夜はOPT( https://opt-apparel.jp/products/ruca-setup )のスーツを見せたり、かばん12月号掲載の連作(性別違和に触れている)や『かわいいピンクの竜になる』を読ませたりした。
そして「私にとって"あるべき世界"での過ごし方に最も近かったのは性別二元論に縛られることのなかった幼児期で、その"あるべき世界"で私はきっとこのスーツを胸を張って着ているだろう。つまりOPTのスーツにはじめて袖を通した日、私は"自分の羽衣を取り戻した"と感じたのだ」という話をした。私にとっては非常に驚くべきことに――この理由を説明すると長くなるので割愛するが――母は慎重かつ積極的に理解しようと努めてくれた。
母の母は全く親らしくないひとで、私から見ても祖母らしくないひとだったので、母には母の地獄があった、あるいはあるのだと思う。対話するたびにそれを(本人にそのつもりはないだろうが)盾にして泣かれたが、昨夜はその盾を構えるのをはじめてやめてくれた。私の地獄に足を踏み入れるために。
私は頑張っている人が好きで、私と向き合おうとしてくれる人が好きだから、10年以上もかけてやっと盾をおろしただけだとしても、それで少し母を赦してしまった。本当は怒り続けなければならない相手や事象でもこのように赦してしまうケースがときどきあるので、今回のこれもあまりいいことではないのかもしれない。でもとにかく、母はついに盾をおろし、私はそれを評価したいと感じたのだ。
親と距離を取るしかないひとがたくさんいるこの世界で、母との交流があり、対話の機会を自分さえ持とうと思えば持てる私は恵まれていると思う。親と自分とを隔てるものが厳然たる岩壁である場合もあれば、肉親だったものはもはや彼方に飛び去り壁さえ存在しない場合もある。
つらく、悲しく、苦しく、時には死を覚悟するほどだった対話をそれでも続けてきてよかった。そう思うと同時に、いつか開くかもしれない扉だと思えばこそ叩き続けられたということを忘れずにいたいなとも思った夜だった。
あのころの母の孤独を思うときジャムにするしかないいちご煮る
(初出:2019.03.24 うたの日)