同郷のシンガーソングライター、高橋優のライブに行ってきた。『明日はきっといい日になる』『福笑い』と言えば詳しくないひとにも伝わるだろうか。
いつもはバンドメンバーとともにツアーをやるのだけれど、今回は単独の弾き語り、それも47都道府県をめぐる壮大な冒険だ。今回行ったのはその19番目、群馬県は太田市エアリスホール。
先にことわりを入れておく。これはライブの記録ではない。セトリや詳細なMCを知りたい方はほかの記事をあたられたし。
はっきり言って、高橋優の楽曲にはすきなものもそうでないものもある。(ほかのあらゆるひとたちがそうであるように)高橋優にも当然マイノリティーの側面があるはずだけれど、マイノリティーがほかのマイノリティーにやさしくないなんてことは往々にしてある話だ。そういう意味で『こどものうた』(09年リリース)なんかは私には苦痛だ。15年前の社会に身を置いてつくったものだとしてもちょっと擁護したくないし、15年前の価値観そのまま持ってくんのかよとさえ思う。これはできれば生では聴きたくなかった。(※性加害と虐待の描写があるので歌詞を検索する方は気をつけてほしい)
一方で、ああこれはこのひとの祈りだと思う楽曲もあった。『誰かの望みが叶うころ』(16年リリース)はそのひとつだ。
持ちうる人と持たざる人 笑えば同じ顔なのに
誰かの望みが叶うころ 誰かの明日が灰になる
風を遮る術もなくて寄り添い凍える子らに
差し伸べられるのは温もり?それとも鉄の塊?
(高橋優『誰かの望みが叶うころ』より)
ぽつぽつとオレンジの弱いライトが足もとに灯り、赤く強いスポットライトが暗闇に幾筋も放たれる演出は戦場となった街を想起させた。たとえばガザ、たとえばキーウを。この楽曲を、今、ギター1本、からだひとつで届けるセトリに組み込んだ本当の狙いはわからない。わからないけれど、47都道府県のどの地でも必ずこの楽曲をやることが祈りでないはずがない、そうであってほしいと思いながら聴いた。
もうひとつ、祈りであってくれと祈る楽曲がある。『ピーナッツ』(22年リリース)だ。
Hello 国境を越えても
Hello すぐ隣の人も
Hello Hello 色違いの愛とプライド
Hello 同じじゃなくていい
Hello 分かり合えなくていい Hello Hello Hello
(高橋優『ピーナッツ』より)
初めてこのサビを聴いたとき、私の脳裏にはプログレス・プライド・フラッグがはためいた。国境、色違い、愛、プライド。こんな言葉たちをサビに置かれて希望を持たないほうが私にとってはむずかしい。札幌高裁が歴史的な判断を示した3日後のライブ、そのラストに手をつないでこの曲を聴けたことは私たちかぞくにとってさいわいだった。いつかミート&グリートに当選することがあったら、この歌詞の意味について訊ねてみたい。
もし高橋優が政治や情勢のことを奇跡的に何も考えずにこの2曲を歌ったのだとしたら泣きたくなってしまう。考えているけど楽曲以外で表明しないことを選んでいるとしても暗澹たる気分になる。できれば一緒に声を上げてほしい、これはこういう属性のひとをエンパワメントするために作った楽曲だと宣言してほしいと願う気持ちもありながら、真意がわからないこともあって共に闘おうと伝えることはできずにいる。
けれど、私はあのライブのこの2曲からこんなメッセージを受け取ったよということは書き残しておきたい。