寄る辺なき舟

また学習会があった。今回は私が担当の回だったので、議題にあげる利用者さんの記録を見ながら資料を作った。

障害の程度や受傷時期などを問わず、やっぱり愛着形成の問題はつきまとう。今回もそうだった。詳細は省くけれど、議題にあげたのは乳幼児期に親との一体感を得られなかった方だ。

虐待を受けるなどの特別な事情がなくても、それなりに愛情を注がれていても、一体感を得られない子はいる。よくあるのは手がかからないがゆえに放っておかれたり、親の望むいい子としてのみ褒められたりしてきたケース。そういうことなら私にも満足に育たなかった部分があるや、と心理士さんの説明を聞きながら思った。

この一体感、重なりの関わりについては学べば学ぶほどその重要性がわかる。親との一体感を得られている子どもは安心して育ち、やがてその安全な港を起点として大海に漕ぎ出す。はじめはほんの短い距離を行って帰ってくるだけだ。ちょっと怖い思いをして、無事に帰港したらそれだけで褒めてもらえる。距離を伸ばしながらこれを繰り返し、最終的には親元を離れていく。

『はじめてのおつかい』がわかりやすい。子どもたちは「一心同体、このひとといれば絶対安心、大丈夫」なはずのお母さんやお父さん、おばあちゃんなんかにある日たったひとりでの、なんなら弟妹を連れてのおつかいを言い渡される。

ひとりで?そんな。絶望だ。おしまいだ。どうしてこのひとは一体であるはずの自分を突き放すんだろう。離れたくない。つらい。いつまでも重なっていたい。この悲しみをわかってほしい、自分と同じように寂しく思ってほしい。泣いて縋って駄々をこねて、それでも覆らない(駄々をこねられるのは「重なりの関わり」による安心がきちんとあるからだ)。やがてとぼとぼと、何度も何度も振り返りつつ歩き始める。振り向くたび見送ってくれているのが見えて少し安心する。泣きながら買い物をして走って帰ると、「よくがんばった、えらかったよ!」と抱きしめられる。こうした経験の繰り返しが安定したこころを育んでいく。

一方、この安全な港を得られなかったひとは生まれてこの方こころからの安心というものを経験したことがなく、いつまでも不安を抱えたままでいることになる。それでもほかの部分が発達すれば表面上はいくらでも誤魔化しがきくので、そんな生きづらさがあるとは気づかれないし自覚しないひとも多い。自覚してもどうしていいかわからずに、あるいは己の弱さに慄いて蓋をしてしまうケースだってある。というか、現代日本ではそっちのほうが多数派かもしれない。

今回あげた利用者さんもこのタイプだ。ただ、このひとの場合は最近やっと港のひとつめを得ようとしている。港は肉親である必要はないし、いくつあってもいい。GHのスタッフや作業所の支援員、カウンセラー、学校の先生、養護施設の指導員。互いが互いの港として機能するなら別に専門職でない配偶者や友人でも構わない。このひとにとっての港も親御さんではなく、わが事業所のとあるスタッフになりつつある。

報告する、という行為にとてつもなく高いハードルを感じているこのひとは、作業が終わっても俯いてじっとしていることが多い。報告しなくていいと思っているわけではなく、むしろ「しなければならない」という重圧がのしかかっているのが見て取れる。報告できないのは不安だからだ。なんて言えばいい?怒られたらどうしよう?そもそも誰に言ったらいい?今は忙しいかもしれない、間違っているかもしれない。どうしよう、どうしよう……

そんな思考のループに陥っている背中に、このひとが港と定めたスタッフは「ここで見てるから行っておいで」と声をかける。はっとして顔を上げ、辺りを見回すそのひとと私の目が合う。一度港を振り返り、小さく頷いて私に向き直る。聞くよ、という表情で待っていると、掠れた声で「作業、終わりました」と伝えてくれる。港はすかさず「できるじゃん!」と褒め、私も笑って「早かったですね、次もお願いしていいですか?」と続きの作業を手渡す。

このやり方を積み重ねていくことが間違っていないか、もっと別のアプローチを考えるべきか。今回はそれを問うために議題にあげた。他事業所のスタッフや心理士の方々と検討を重ねて、今はこれ以上焦る必要はないだろう、港が港として機能し、事業所内でそれを共有できているのであれば、という結論が出た。

こんなふうにひとつのケースを時間をかけて議論する日が月に数度あることは、自分がどう関わっているかを振り返るいいきっかけになる。他事業所の仲間の意見を聞けるうれしい機会でもあって、できれば毎月出たいなあと思う。座学や議論に抵抗がある同僚には正気を疑われたけれど、その同僚だってよりよい支援について考えない日はないように見える。いいところで働けているなあ。学習会に参加できたらできるだけこうやって記録していきたい。

@kamiokafu
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