9年ほど前に他界した父方の祖母(家父長制と異性愛至上主義の煮凝り〜自分本位を添えて〜)が夢に出てきた。
この祖母というのが私の母にとって本当にいやな姑で、何かと理由をつけては母に加害していたのを覚えている。母は母で私たちきょうだいの親として問題があったのだけれど、祖母さえいなければもっとずっといい親になれていただろうと思う。とにかくそんなありさまだから私は祖母が嫌いだ。とっとと消えてほしかったし、鮮明に思い出すことと言えば高校受験の結果を報告しに行った時に言われた「なぜいい高校(偏差値が県内トップという意味)に行かなかった」というなじりだけである。孫を自分を飾り立てるアクセサリーとしか思っていなかったような人だ。
夢の話に戻る。現実ではとっくに解体された祖母の家で、彼女は「性自認なんかないッッ」と目を吊り上げて吐き捨てているところだった。
祖母は晩年認知症を患い、地元のまつりの季節に「竿燈を見に孫が帰ってくるから家に帰りたい」と泣いたことがあったそうだ。私も弟も大曲に暮らす母方の祖父と花火を観るほうがずっと好きで、竿燈まつりのために、まして父方の祖母の顔を見るために帰ったことなど一度もなかったのに。自分は愛されていると疑わない性質だけは羨ましい。
ああ、この人は認知症だったなとそうした現実の記憶を夢のなかでも思い出した私は、わけのわからない現状への怒りが彼女にこんな態度を取らせるのかもしれないという見立てをした。そして利用者さんに接するときのようなやわらかな対話を試みた。先述の理由から彼女に一片の期待も寄せたことはなかったが、私はなんせ賢く優しく技術と理解のある孫だったのだ。
祖母が座る高座椅子の横に三角座りをして「おばあちゃんは自分のことを女性だって認識してるよね?」と温かみのあるトーンでゆったりと話しかけると、祖母は子どものように頷いた。「だよね。それは自分の性別を自分で認めてるってことだよね。他者から"あんたは男だ"って言われて揺るがされるようなものじゃないよね」と手の甲を撫でながら微笑んで伝える。何度か目を瞬かせたあと、祖母は憑き物が落ちたような顔で「そうだね。性自認ってあるね」と応じた。
わかってくれてありがとう、と抱きしめたあたりで、もうこれが夢だと気づいていた。実際の祖母と対話したことなどなかったし、したいと思ったこともなかった。ただこの人を嫌ったらお父さんが可哀想だ、という気持ちから優しくしていたに過ぎない。残念ながらその父こそが祖母を野放しにしていたのだと成長するにつれて気づき、今はすっかり距離を置いている。しかし父も愛されていることを疑わない性質の持ち主でめげずに連絡を寄越すので、いやなところが似ているものだなと思う。
おそらく最初で最後の祖母との対話を終えて目覚めたあと、私は生きているうちにあの人を赦す機会がほしかったのだなあと気づいた。赦して、孫としてもっと優しくしたかった。けれどそれは加害者である祖母からの歩み寄りがなければ不可能で、もはや叶いようのないことだ。
赦せない、優しくできない相手を心に抱えて生きていかなければならないのはつらく苦しい。加害者が責任取って土下座しろよという気持ちはあったが、死人に土下座はできないし、実際の祖母が私に「悪かった」と謝る姿なんて欠片も想像がつかない。だから今回夢がもたらした機会をとらえて祖母を抱きしめることができたのは僥倖かもしれない、と思う。本当は手放しに優しくしたかったんだよ、でもあなたがそうさせてくれなかった、という思いを夢がこんなかたちで受容してくれた。自分で自分の悲しみに気づき、癒すフェーズに入ることができたとも言える。
じゃあね、祖母。あなたを私は赦します。あなたを放した手が空いたから、もっとずっとすてきなものをつかむことができると思う。あなたを愛したかった孫はもういません。決して生まれ変わらず、自分は愛されているという幻想とともに死後を楽しんで。それを赦せる私になったことを、いつか喜んでね。