新品の服を買うことが平均よりも少ないと思う。大手の古着屋やリサイクルショップで誰とも口をきかずうろうろする時間がすきだ。それに、新品の服を買おうとすると嫌なことが起こりすぎる。
たとえば店員に「お姉さん/お兄さん」と性別を断定されたり、背後からパーソナルスペースに侵入されたり、入口から覗いたとき既に待ち構えているのが見えたりする。うんざりだ。プライベートで知らない人と全然関わりたくないので店員だからという理由で近寄ったりなれなれしく話しかけたりしないでほしい。が、それが仕事なのはわかっているのでこちらが買い方を変えている、話しかけてくる店員がいない店に行くというかたちで……
私はホモサピエンスを嫌いすぎているかもしれない。でも自ら「知恵のある」と名乗り他の種に名づけをする動物、あまりにも傲慢だろ。嫌う理由として充分だ。
うまれたときに振り分けられた性別と異なる性別向けの棚を見ていると「彼女さん/彼氏さんにですか?」という性別二元論・異性愛至上主義ここに極まれりといった声かけをされたり、ほかのお客さんにじろじろ見られたりした経験もある。
大手古着屋ではメンズを見ようがレディースを見ようが誰も何も言ってこないし奇異の目で見る人もいない。サイコー。何を手に取って試着室へ向かってもいい。おかげでうまれたときに振り分けられた性別の対岸へ渡ったり中間で立ち泳ぎしたりが気軽にできる。平均的な体格から外れたサイズは格安になっていたりして、対岸へ渡ると随分小柄になってしまう自分にはそれも助かる。
新疆綿の問題に明確に回答していないユニクロ、それ以外の問題もスルーしている無印良品、その他諸々。そういったメーカーから新品を購入することで加担したくないという思いもある。でも古着屋で体格や好みに合うものを手に取ってみたら不買メーカーだったということは何度かあるし、そのメーカーが起こした問題を知らずに買ってしまうことだってあって、これに関しては自分の中でノーカンにしている。古着も含めた徹底的な不買をすると庶民の首は回らなくなってしまう。やっぱり安さも購入の決め手ではあるので。
あとは誰かにとっては要らなくてもまだ使えて自分にはすてきに映ったものを使うことがとても好きだし、気に入ったものを手に入れる喜びの大きさはその新古に左右されない。くたびれてきたほうが風合いが出てくるものだってたくさんある。うちにある家具の大半は木製の中古品で、いくつかは飴色のヴィンテージやアンティークだ。新品を買ったってこうはいかない。
だからもしお金持ちになったとしても古着屋で気に入るものを探してひとりでうろうろする時間を取ると思う。誰にも邪魔されず、性別を理由におびやかされることのない購買体験ができる貴重な場として、大手古着屋のあの雑然とした売り場を愛している。