就労継続支援事業所で支援員として働いている。ここは研修に力を入れている法人で、月に何度か学びの機会がある。
今日は月に一度の心理士さんを招いての学習会があった。日頃の支援における疑問や躓きをあれこれ質問し、それなりに解消できた。毎月こうした場を公的に設けてもらえることは本当に助かる。
それにしても、幼少期の満たされなさ、という言葉がどの利用者さんについて相談しても出てくるのがつらい。生まれつきでなく環境や事故の影響で「健常」という枠から突然弾かれてしまったひとであっても、支援において"育ち"における問題は切り離せない。
とすれば、当然自分も幼少期のどこかで何かが不足しているに決まっているのだよな、私に欠落したものはなんだろう、それが満ちたら私はどうなるのだろう。そんなことを考えながらノートを取っていた。支援者としてのさまざまを学び取るために参加している会ではあるけれど、自分を振り返るいい機会にもなる。
満たされなさは悲しみに、怒りに、攻撃に姿を変えて支援者に襲いかかります、アグレッションを受ける役になった支援者は完璧に振る舞ってはいけません、と心理士さんは言った。
我慢強く完璧な振る舞いであればあるほどアグレッションする人は支援者を同じ人間とは思わなくなり、あらゆる怒りや悲しみを受け止めてくれる上位の存在として扱うようになるのです、真っ向から受け止めようとすれば巻き込まれ、たとえばうつに――という流れには、まあ、はい、そう、そうなんですよね、ええ、ほんとうに……と正座したい心持ちになってしまった。
やあやあ、われこそは、とある利用者さんの攻撃を真っ向から受けようとして受け止めきれずうつを発症した人間である。
やはり満たされなさを抱えたそのひとは、私をとても慕ってくれていた。調子のよい日は素直に甘え、不調の日は書くのも憚られるような暴言を投げつけてきた。引っぱたかれたことなど1度や2度ではない、眼鏡が飛んだ日もある。
未熟だった私は当然完璧には程遠いものの、とにかく堪えに堪えて笑顔で接していた。そのうちそんなふうに受け流すことさえできなくなり、ついに濁流に呑まれたのは18年夏のことだった。私はある日突然出勤できなくなり、私を慕っていた利用者さんは甘える先を唐突に失ったのだ。
心理士さんのお話には続きがあった。そうならないためには、支援者の枠をときどき少し外してみせて、自分は傷ついたり泣いたりする人間であると相手に示すこと、チームで役割分担をすること。誰かがアグレッションを引き受けるなら、それを支えるヒーラーが必要です――
ああ、あの頃の自分はできもしない正統派タンクを、しかもソロでやろうとして死んだのか、と5年半も前のことに思いがけず整理がついて、呆けながら帰路についた。
思えば最近は無意識に回避盾をがんばっていた。手強い利用者さんがいて、私をあの手この手で怒らせようと仕掛けてくるのだ。わざと失敗してみせたり、やる気のない素振りをしてみせたり、急に大きな声を出してみたり。
そんなネガティブな気の引き方で得られるものは何もないのだと知らしめることももちろんできるけれど、今のところ仕事でその手は選ばない。失敗するなんて珍しいね、気にせず次いきましょう!とか、やる気どっかに落としてきちゃったみたいですね、一緒に拾いに行こうか?とか、そんな感じでかわしている。
利用者さんの人生を私は背負うことができないし、背負いたいとも思わない。でも週に30時間ほどをともに過ごす者として、できるだけ健やかでいてほしいと願っている。そのためにあの夏を繰り返さない。われわれは満たされなさを抱える者同士で、簡単に傷つく者同士だとお互いにわかっている状態で支援にあたりたい。今日はそこがひとつ明確になってうれしかった。
難しい目標だと思うけれど、がんばりたい。
手をつなぐ親たちの手は塞がって子らは静かにおれの手をとる
(Twitter発表『江東区手をつなぐおれとあなたとケーキの会』より)