【それはもう、表現者では無いだろうか】
まだこういう場所ではまだ言っていない(多分言って大丈夫なんだろうけど、気持ちが高ぶってるから調子に乗らない為の、もある)のだが。
フリーランスの料理人アカウント(めしつくるひと)に、来年アートフェスタを開催するのだけど、めしつくるひとのしてることが面白いし企画の趣旨にも合うので是非立ち上げのキックオフメンバーになりませんか?というメッセージを頂いて。
正直、めしつくるひとのアカウントはほとんど作ったり、誰かに振舞ったご飯を淡々と上げる&たまに参加するイベントの話を細々書くInstagramだ、と自分でも趣味レベルだなぁとは思ってはいたのだが。
「地域の食材を使った料理を、地域の器に盛り付けたモノ、それもアートです」
と、おっしゃられていた方がおり、めしつくるひとがしていることに共感を持ったので是非...という内容だった。
確かに自分は長野の食材(酒粕、赤かぶ漬け、すんき漬け)を使ってスパイスカレーを作り、東京のシェアスペースで販売したことがある。
自分としてはこういうモノを売って儲けてやろう!ウハハ!という気持ちはなく。
こんなに美味いものがあるのを知って欲しい、じゃあ自分が出来る料理、カレーで食べてもらおう!だったから、決して商売気がないわけではないが...と考えた時に、料理は自分を表現する方法なのか、で、その料理を食べた人が美味い!と思ってくれたら一石二鳥だなと思い。
つまりそれは表現者、ではないかと。
フランス料理のようにフランス料理、という料理としての形式美もあるが、どちらかと言うと自分は柳宗悦が提唱したような「民藝(民衆的工藝)」に近いのではないかと。
端的に言うと日常的に使う、普段使いする器などに芸術的な美しさを見出そうという運動のこと。
と、思えば、普段使いの器に普段食べている料理を盛りつければ、食卓でさえそれは小さな美術館になりうるのではないか?なんて考えたり。
そんなことを考えるあたり、十分表現者、なんだろうなと。
やっぱり、肩書きがあることにまだ恥ずかしさというか照れと、ンなもんいらん!という反発精神を発揮している自分もいてなかなか、アーティスト、なんて名乗れないよなぁとスマホの画面に反射する顔が苦笑いしているな、と気づきながらこの文を書いている。