自分の足で立ちたい

kamone
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「専業主婦になってもいいよ」

結婚していた時、前の夫から言われた言葉だ。ただ私はお金のかかる人だから自分に使うお金のために、月8万くらいパートすることを提案された。とても有り難いことを言われているはずなのに、よろこべなかった。

その時はすでに働いていた出版社を辞めていた。

ずっと編集者を目指していた。人に「もういい加減諦めたら」と言われても業界の人に「おすすめはしない」と言われても、自分が編集者になるまで諦めたくないと思っていた。実際にしつこくしつこくアプローチをし続け、やっと編集者になれた。辛いことなんて数えきれないほどあったけれど、自分が働きたかった場所で好きな仕事ができるのはうれしいことだった。でも、やりたいこととできることは違う。

自分がこれまで見たこともないような学歴と能力の高い人と肩を並べることは、一瞬の気を抜くことも許されなかった。できることはあった。手応えもあった。でも、圧倒的に体力がなかった。子供の頃から引きこもりで病気がちの自分は、圧倒的に基礎体力がない。何もかも約束されたみたいに成功してきた人たちと、挫折だらけの自分。気持ちを高く持てば持つほどに、それとは裏腹に身体はボロボロになっていった。薬が切れると蕁麻疹が止まらない。常に身体は痒い。トイレはいつも真っ赤に染まっていた。もう全部全部、限界だった。

出版社を辞めた。憧れだった仕事だったのに。

編集者を辞めて、人生がわからなくなった。私が評価されてきたあれやこれ。一つもなくなってしまった。どうやって生きていけばわからない。そんな中で元夫との結婚生活を始めた。しがみつくような暮らしだった。

自分ではないような自分を見ては、失望した。ガッカリすればガッカリするほど、過食は止まらなくてぶくぶくと太っていった。仕事を辞めて1カ月で10キロ太った。半年になる頃には22キロ増えていた。毎日死にたくて、目を瞑ると自殺をする時の縄が見えた。首を吊る自分が見えた。頭の中で、“もう死んじゃいなよ”“お前なんか死んだほうがいいよ”“死なないといけないんだよ”という、自分の声が聞こえた。嫌だった。全てが。私は私のことが許せなかった。

そして冒頭の台詞だ。

私はその言葉をうれしいとは思えなかった。「無理して働かなくていいよ」という彼が、甘い毒のように思えた。いいわけなんてない。私は私の足で立ちたかった。そう思って学生時代やっていた販売、一般事務の仕事をした。でも全部駄目だった。仕事はできても、精神が言うことがきかない。ストレスを感じて、体を壊す。慢性扁桃炎でいつも身体は熱を持っていた。蕁麻疹も止まらない中、メニエール病も発病して、目眩に苦しむ。またしてもトイレは血の色に染まった。結局何をしてもうまくいかなくて、体が壊れていく。気持ちと体がバラバラだった。これでどうやって生きていけばいいのかわからなかった。

それでも諦めずに生きていくためにコールセンターで働いた。初めての経験だった。そこで私は自分のできることを知り、少しだけ自分のことを好きだと思えた。コールセンターという空間で出会う人たちを通して、人間の面白さを再発見した。元夫とは決定的な出来事を理由に、別々の道を歩むことを決めた。好きという想いはそのままにさよならをしてしまったが、今思えば正しい選択だったと思う。

1人で生きていくことは思っていた以上に大変なことばかりだった。4年という時間でいかに彼に依存していたかがわかる。別れてからずっと自分の存在を確かめるようにもがいていた。心の安定のために、いっぱい自分を傷つけることをしたけれど、私が私に戻るために必要な経験だった。

私は今、仕事を探している。しっかりとした労働意欲がある。家族も犬も猫も好きな人も大事な存在だ。それでもそれだけじゃ駄目だった。前の私と違って今の私には表現する場所がある。noteやここだ。これまでずっと作りたいものがあって生きてきた。それをなくしてわからなくなっていたけれど、新しい形に変化した。書くことができれば生きていける気がする。

私はこれからも死にたいという思いを抱えて生きる。なりたかったもの、なれなかった現実。たくさんの挫折をしたから見えてきたものがある。私は今見つけたものを大事にしていきたい。手からこぼれたものを嘆くのではなく、その存在を確かめたい。そうやってまた一つずつ、自分の持ち物を増やしていく。それがいつか溢れんばかりのものとなることを願って、生きていきたい。一度ゼロになったからこそ、スタートすることができると思ってる。

@kamone
猫と犬を愛し、雑文を書き散らかす。病める時も健やかなる時もハイアンドロー。ここは思考の赤ちゃん置き場。noteも書いてる。note.com/_kamokamone