好きな人から望んでいた形で連絡があった。ここ最近のモヤモヤが絵に描いたように解消されて、朝から気分がよかった。
物事にはタイミングが大事で、そのタイミングに合致した人とだけ恋愛はうまくいく。それが少しでもズレていたら、とたんに歯車は狂いだし、何もかもうまくいかなくなることもある。適切なタイミングで言葉をくれることが、私にとっては物凄く大事だ。
私は文章もリアルも多弁。よく笑い、よく泣き、たまに物凄く怒る。イライラはあまりしない。気分薬を飲んでいる影響もあるだろう。
言葉は尽くせばいくらでも形にすることができる。ハート?星?三角?丸?四角?ーーいくらだってどんな形にだってできる。
それでも思う。
言葉は自由で時に不自由だ。
話せば話すほど違和感が生まれることがある。私の思いを口にすればするほど心から離れていく。そう言う時は口を噤む。私の気持ちが間違った形で出て行かないように、出口を塞ぐ。閉じて、気持ちを成形する。しばらくしてから言葉にする。
「大好き」も「辛い」も「寂しい」も誰かを押し潰すために存在する言葉じゃない。あなたにわかってほしくて、言葉にしたい気持ちだ。でも、言葉にすることでおかしくなってしまうのなら、言葉なんていっそ必要ない。そういう時がある。
目を合わせて、手を繋いで、抱きしめあって、言葉を介さない原始的コミュニケーションでわかり合えることもある。むしろ、そうやってわかり合いたい時がある。
人に対して純粋に“好き”という気持ちを抱くことが長らくなかった。もう解けることがないようなぐじゃぐじゃに絡み合った糸のような、複雑な“好き”という思いを抱きしめていた。だから、手放しでよろこべるこの想いがわたしはうれしい。
言葉を少しだけ封印して、心で感じる。あなたの気持ち、わたしの気持ち。本当のことは話さないとわからないけれど、今は感じられるものを感じたい。あなたの気持ちを想像する、その余白を愛おしく思う。それだけで今の私には、十分だ。
死にたい思いは消えない。それでも今日みたいな延命措置のような日に生かされている。
いつか目を見て「大好きだよ」って言いたい。胸を張ってあなたにそれを伝えられる生き方をしたい。それができるかは私とあなた次第だけれど、こんな気持ちにさせてくれただけで感謝している。
ラブはいいね。