こないだトイレ掃除をしていて、視界にうつる物を捉えて、そろそろ捨てなきゃいけないなと思った。
トイレットペーパーの芯だ。
去年の8月に引っ越してから1度も芯を捨てなかった。冬眠に向けて、リスが木の実をたくわえるかの如く、ひたすらに溜めておいた(そんなかわいい感じではない)。
捨てるのが面倒くさかったわけではない。なんとなく、用意した袋がいっぱいになるまで溜めてみようと思った。
溜めているうちに私の頭には、子安武人の声が聞こえるようになった。
「おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?」
『ジョジョの奇妙な冒険』に登場するディオ・ブランドーの名言だ。
ディオの声が聞こるようになった私は、トイレットペーパーの芯を溜めることの意味は見出せないものの、「おまえは今まで使った自分のケツや股を拭いたトイレットペーパーの数をおぼえているのか?」と思うようになった。
そんなものは覚えている必要もクソもないのだが、袋がいっぱいになるまでは続けようと思った。
そして先日、トイレットペーパーの芯が袋いっぱいまで溜まった。いっぱいになっても一つも感動しなかった。むしろトイレという衛生的にはあまりいいとはされない場所にある集合物に、触りたくないなとさえ思った。
だが、ディオが問いかけたようにここまで溜めたのなら芯の数を数える必要がある。使ったトイレットペーパーの数なんて覚えてないが、いったいどれくらい消費したのかは気になる。
2023年8月〜2024年4月までのトイレットペーパーの芯の数を数えることにした。
数えたところ、私の年と同じ31本だった。サーティワン。なんだかちょっとうれしくなった。意味もなく溜めて、自分と結びつきのある数字があらわれた。トイレットペーパーの芯から「ここまで頑張って生きてきたね」と言われたような感じはするわけはないものの、まるでバースデーケーキに立てられたロウソクの数のように思えた。数えている最中は“触りたくねえな”としか思わなかったけれど、数えてよかった。
写真を撮って記事に添えようと思って撮影はしたものの、なんだか不潔な感じがしたから掲載は控えておく。トイレの臭いがするっていうか、絵面がよくないよね。うちのトイレは良い香りではあるのですが。
人がどれくらい平均的にトイレットペーパーを消費するのかを知らないから、31という数字が多いのか少ないのかもわからない。それに最初はダブルを使っていて、途中からシングルに変えたからデータとして不確かだ。本当に何の意味もない。
かつての記憶がよみがえる。
高校1年生の時に親友がバンホーテンの紙パックのココア(500ml)をよく飲んでいた。理由なく、「わたし、これ溜めることにしたの!」と言ってロッカーに飲み終わった紙パックを洗って保管していた。
夏休み前にロッカーを整理をする彼女に声をかけると、彼女は「最悪!」と叫んだ。数十個のバンホーテンの紙パックはカビが生え、見るも無惨な姿になっていた。彼女は憤りながら紙パックを捨てていたが、私は保管することが不可解であり、当然の結末だと思っていたから意味がわからなかった。
これと同じくらいトイレットペーパーの芯を溜める行為は意味もなく、無駄だ。だが今回書くにあたり、バンホーテンの500ml紙パックを調べると、とうの昔に販売を終了していることがわかった。わかったところで何もないが、思い出の味が消えていたことを知った(500mlの乳製品飲料なんてお腹壊す以外の何物でもないから、たまに飲んでいたくらいだけれど)。
青春の味とトイレットペーパーの芯。とてつもなく強引な力で結びつけて、この話は終わりとする。
無駄なこと、たまにしたっていいじゃない。