何で生きるのってこんなに辛いのかな。毎日ばかみたいにこんなことばかり考えているよ。人生の中でこのことをどれだけ考えるんだろう。いつか生きることや死ぬことを考えないようになるのかな。考えなくていい場所にたどり着けるのかな。そんなことをぐるぐるぐるぐる。
前のカウンセリングの先生に「かもぴは、死にたい思いがなくなることはないと思うよ。でもそれを理解しながらこれからを生きていくことで、見えるものがあるんじゃないかな」と言われたことがある。
私もわかってた。「死にたい」って思わなくなる日は私にはきっと来ない。これは先生がかけた呪いじゃないよ。ただの事実。
死にたい私がこれからを考える。それは物凄く辛いことで、苦しさに胸が詰まることがある。愛してくれる人がいても、私にはいつも何かが足りない。やめることができたらどれだけ楽だろう。生きることも考えることも手放して、全部から逃げられたらどれだけ楽になれるんだろう。でもしない。できる限りのことをしてから死ぬと決めているから。
生まれたいなんて言ってないってみんなも思う?
私もよく思ってた。でも生まれなければただの0だから何もない。思うことも考えることも何もかも。だから生まれてしまったからには、考えていく必要がある。1になってしまった私たちに課せられた使命だね。これを私は罰と呼ぶのかも。
愛したいし、愛されたいね。世界の終わりには、君と手を繋いで死にたいな。君は概念だから、誰かを想定しているわけではないんです。ただ、隣に誰かがいてくれて、愛し愛された状態で死にたいと思う。そしてそばにふわふわの命の塊があったら幸せ。でも世界が終わる時に、人間以外が苦しむのは見たくないからそれまでに看取りたい。(なんのはなし?)
頑張って頑張った先に結局、自殺することが待ってるんじゃないかって思ってたまに怖くなる。そうならないように生きているのに、最果てはそこなんじゃないかって。こんな暗い想像をしたってしょうがないんだけどね。
今の私はまだまだ頑張れるはずなので、できることをやっていく。最近の私の標語は「できることを一つ、一つ」です。これを唱えるようにしてるよ。頑張って生きていこう。だって頑張らないと生きられないんだもん。そうじゃない?