祈るって神物に頼むことだけではない。心から願うこと。私にとっての祈りは、人を愛することと文章を書くこと。
人を愛したいと思う時に言葉をたくさん使って伝えようとする。でも人と人の関係って簡単なものじゃないから、伝わらないことばかりだ。私が考えることも、あなたが考えることも100%通じ合えることはない。そんな寂しさを抱えながら、言葉を駆使する。それでも届かないから私は祈る。どうかこの愛がよりよく届きますように。私の思いが曲がることなく、真っ直ぐに伝わりますように。真心から紡ぎ出された言葉は、きっといつか届くはずだって信じてる。
言葉が人と人の関係をおかしなものにしてしまう時があるとするなら、時には静かにしてる必要があるんだろう。前はそれができなかった。今ならできるような気がする。自分と相手を信じる気持ちさえあれば、静寂だって怖くないはずなんだ。
文章を書くという行為は祈りそのものだと思ってる。存在する気持ち。伝えたい思い。言の葉を一つひとつ拾って、連続性のある形にする。別に誇示したいことがあるわけじゃない。ただ事実として今そこにある感情や気持ち、そういったものを伝えたいと思うんだ。
気持ちは言葉にしたいと消えてしまう。書くことをしなければ私の苦しみは消化されないまま地縛霊のように、どこかもわからない心の部屋に閉じ込められてしまう。出たいんだ。明るいところに。一筋だけ差す光を信じて、書き続ける。そしたらきっといつか、明るい場所に出られるじゃないかって思うから。けれど、本当はどこまでいっても自分の部屋から出られることはないとわかっている。でもそれではあまりに苦しくてやっていけないから、出られるはずだと信じたい。矛盾してるけどそう考えてる。
読んでくれる人が増えることはきっと、私の気持ちがたくさん吸収されること。色んな人の元に届いたら、元々存在していた絶望的なほど大きな気持ちは別の形になることができる。あなたの中で違う形となって存在できる。そうやって私は楽になりたいと思ってる。いつか読んでくれている人の数がたくさんの数になった時、きっと私の気持ちは微粒子くらい見えないほどに小さな存在になるかもしれない。そうなれば気持ちは消化できたといっていいんだと思う。
誰かの心で大きく存在したい。言葉となった気持ちが私の体から飛び出て、あなたに届きますように。願いを込めて書き続ける。今日もあなたに届いてほしいと思ってる。
愛も書くことも祈りであり、私にとっての生きる意味だ。