最終版_noteとの付き合い方

kamone
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昨日でGWは終わりかと勘違いしてた。まだだった。無職のカレンダー感覚のなさ出てる。昼ご飯も食べたことだし、noteについて思うことを書く。

以前にも私はnoteを書くのは気合いがいるとボヤいていた。書く姿勢をつくるのに時間がかかると。ちなみにこの記事だよ。

たしかにそれはそうだ。間違ってはいない。だが最近よくよく考えてみたところ、noteと私が合っていないという結論にいたった。相性の問題。noteは書く上でとてもいいプラットフォームだ。書くことを習慣づけたい人にとって唯一無二の場所だと思う。

私もnoteがあったから、発信を始めることができたし、誰かに向けて書くことが生活の一部になった。ずっと壁打ちのように、ただひたすら一人で書いてきた。それを抜け出せたのは、noteのお陰だと思っている。noteには感謝している。

だが4/14に始めたしずかなインターネットは5/6現在、3週間ほどで44本の記事を書いている。対してnoteは約4カ月で51本。sizumeは詩のようなものやトンデモ雑文もあるとはいえ、それにしてもたくさん書くことができている。それはもちろん、sizumeが気楽に書くことができ、落ち着く場所である証左だが、それだけではない。

noteを書く私は無理をしている。この無理をしている感覚には、長らく気づかなかった。いや何ならこの記事を書くために考えていて、さっき気づいた。noteの書きづらさは、クオリティを担保するがゆえに生じるものかと思っていた。だが、違う。私はnoteの雰囲気に馴染むために、無理をしていたのだ。それが居心地が悪く、私の筆を止める。

noteはあたたかい創作プラットフォームだ。書く人も見る人も、穏やかなことを好む人が多い気がする。また前向きな投稿や人と気持ちを共有するような投稿が好まれる傾向にある。

それに対し、私は……?という話である。

私はあたたかくない。冷たくもないけれど、どちらかというとダーク寄りだと思う(どちらかと言わなくてもそうだろと言う人の声がする)。雑に光と闇で属性分けをしたら、悩まれることなく闇属性に分類されてしまうだろう。

noteは光属性の集まりだ。もちろんそうじゃない人もいっぱいいる。ただ健全な精神を持ち、健康的に生活を営んでいる人の多さよ。やめて眩しい。死に損ないの病人には、ちょっときつい。偏見があるわけでないけれど、ケミカルな人間が無印良品にぶち込まれたみたいな違和感がある。

そんなプラットフォームだから私は無理をして、文体の調整や統一をして、noteらしさを考えた投稿をがんばっていた。書くまでに時間がかかると言ったが、書きたい!と思わなくなっているのが本音だ。リビドーがないんだよ。

それにnoteは「スキ」(いいねのようなもの)やコメントでコミュニケーションを好む人が多い。私もコメントをいただいたり、仲良くしていただいてる方とコメントのやりとりをしたりするのは好きだ。けれど、コミュニケーションを目的にnoteをやっているわけではない。つながりを感じながら創作をすることに関しては、noteの右に出るものはいないと思う。ただ私には向いていない。それだけ。

だからメインのプラットフォームを変更したいと思う。候補としては、エキサイトかはてな。使ってたことあるから。ただまだ決定ではない。どこかしらのプラットフォームで、一人自由気ままに発信を続けたいと思う(感想はもらえたらめちゃめちゃうれしいけど。それはどこでやろうと変わらない)。

とはいえ、noteをやめるわけではない。noteと相性のいいエッセイや恋愛のことなどはたまに投稿する予定だ。

書きやすい新たなプラットフォームを見つけて、そこでもっと読み応えのあるものを書いていきたい。本や映画の感想文も書きたい。とにかく私の書きたい欲や、書かなければ消えてしまう思いや言葉たちを文章という形に昇華したい。

どこで書こうと最終的には自主制作で紙媒体にしようと思っているので、もし出来上がった際には報告したいから待っててね。

noteについて思うことはこんな感じ。

sizumeは私の頭の中みたいなものなので、ずっとずっと続けていきたい。これからもどうぞよろしく。

@kamone
猫と犬を愛し、雑文を書き散らかす。病める時も健やかなる時もハイアンドロー。ここは思考の赤ちゃん置き場。noteも書いてる。note.com/_kamokamone