今日の振り返り

kamop
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ふと思いたって、英単語の本、漢検の本を1ページずつ、写してみる。

あまりにもコミュケーションが少なくなり自分の言語能力の衰えにおののいているので、少しでもなにかしてみようかと思いついて。続くかは決めてないけれど。

コロナ禍でのリモートワークから会社方針の(と言うよりも他の社員の希望による)リモートワークが、気づけば2年半続き、それまでの人とのコミュケーション量とは比較にならないくらい、減ってしまった。メールもない、会議もない。所謂、効率の良い働き方。本当にそうなのかな、と長く感じていた。

貴重なオンラインでの会話の際に交わされた言葉の内容やトーン、聴き手、話し手のバランスなどへの違和感が積み重なっての事だった。違和感があったならもう少し早く距離をおくことも出来たなぁ。と、今になって思う。

昨年から参加したサークルでは、プライベートな場ということもあるのだけれど、参加される方の聴き手としての能力が素晴らしく、そう頻繁では無い時間であるにも関わらずとても安心して過ごせている。話す際にも自分の意図を如何に誤解がないように伝えるかといったような心遣いが感じられる。それぞれに感じ方や意見があり、皆違っているという前提があるようにも思える

。そのような場なので、自分も意図が伝わるように話せたか、聴けたかなと考えたりする。とても貴重な対話の場所。

それとは別の意図で、別の場所で新しい繋がりを求めてみたが、そこでは突然生き方の違いについて謎の線引きをひくような強い発言をされる方がいて、それ以上関係を深めようと思えなくなってしまった。

以前の私なら嫌な気持ちになった場面があったとしても、そのまま次の誘いにのっていたと思う。けれど、1つ安心して話せる場を得たことと自分が関わりたくない環境から離れるという選択をしたことをきっかけに、1歩引くことが出来た。

ある人にとっては当たり前のことかもしれないし、ある人にとってはありえないことかもしれない。分からないけど、自分にとっては、納得のいく選択が出来た。嫌だと感じたものから離れるということ。我慢する必要がないのに無意識に耐える必要ないってこと。

もしかしたら、離れた繋がりの中で何かが生まれたかもしれないとも思うけど…そこから生まれてもそんなに嬉しくないような気がする。

年齢や性別が近いとかそういうことではなくて、何に面白みを感じるかが近い人との繋がりの方が、スムーズにいくのかもしれない。

歳を重ねて自分も頑固になったり気遣いを億劫に感じてしまうこともあるけれど、せっかくならば楽しく面白みのある繋がりをつくっていけたら嬉しい。