大好きな友人がいました。諸々あって交流が途絶えてしまい会うことはもう二度と叶わないのだけれど、少しの疑問と後悔の気持ちと、それよりもっと大きな、あなたの笑顔と幸せをずっと願っているという気持ちは、このまま死ぬまで持ち続けるのか、それともどこかに置いていくことができるのか、まだわからないままです。
私は結婚を機に遠方から引っ越してきたため、身近に会って話せるような友達がいませんでした。そんな中で妊娠・出産し、トラブルや悩みの相談はもっぱらTwitter頼みだったところ、偶然同じ市内に住む彼女(とわが子と同じ年齢のお子さん)と知り合い、自分から誘って会うようになりました。(人見知りな私にとっては大きな勇気が必要だったものです)
それから数年の間、お互いの家で子供たちを遊ばせつつ私たちはお茶を飲みながら他愛のないことを話したりして、永遠に続くと思えたワンオペ育児の中でもゆっくりと息を吸える時間を共有できたことは、当時の私には大きな救いだったし、今でも大事な思い出です。
明るく、ためらいもなくハグしてくれて、趣味や波長の合う彼女のことが、私は本当に大好きでした。それに、彼女もそれなりに私のことを気に入ってくれていたように思います。でもそれだけじゃだめなんだなって、最近ようやく心でも諦めがついてきた気がします。
何か仲違いしたわけではありません。たまたまお互い、大きなトラブルが近いタイミングであって、なんとか元の形に戻ろうとしたけれど、上手に戻れなかった。それでも一度向こうから、おそらく無理を押して会いにきてくれたけれど、どうしてもだめでした。
関係がガラガラと崩れ、もう会ってはいけないと理解するまでは一瞬だったので、それまで楽しく過ごしていた数年との対比ですごく苦しかった。また会いたい、話したい。あなたの作ったビオトープが見たい。人柄がにじみ出るあたたかい絵ももっと見たいし、ハンドクラフトのことも話したい。もう少しおばさんになった頃、子供の成人を一緒に祝いたかった。子供の手が離れたら、2人で旅行に行きたいねって話したよね。そうこうしているうちに、彼女は市外に越していきました。
SNSのアカウントも消してしまったので、近況を知ることもできません。今どうしているかな。笑顔でいるかな。大好きな自然に囲まれて、穏やかに笑っていてほしい。つらいことのないように。幸せに生きていてくれたら、もう会えなくてもいいから。「もしかしたらまた会えるかも」そう思って、ちゃんと感謝を伝えられなかったのが心残りです。
好きか嫌いか、会いたいかそうではないか、私の友人関係ってそれだけだったのに。お互い好きだし会いたいけど、もう友達ではいられない。そんな苦いの、できれば知りたくなかった。でも本当に大好きでした。出口の見えない真っ暗なトンネルを一人で歩いているような育児生活の中、あなたの明るさと優しさにどれほど救われたか・・・心にぽっと小さい火が灯るようなあたたかな思い出を、どうもありがとう。さようなら。
大切な友人へ。