これは、2021年に書き残していたメモの加筆修正版。
久しぶりのに東京の東の方に行った。新宿より西に住んでいる民としては、新宿より東に行くのに1つの壁、東京駅を越えるのにもう1つの壁がある。大学の友だちの家に泊まりに行ったのだが、友だちの家に着いてから妹の下宿先も近いと気づいた。
同じ東京に住んでいるのに、東京で会うのは年に1回あるかないかのレベル。2段階の壁があるので妹の下宿先近くに行く機会もなく、会ったところで話すこともなく。そんなわけで妹の家に訪れたのも1年半前だったので、友だちと別れた帰りに30分くらい部屋に遊びに行った。
大した話題もなかったがひょんなことから将来の話になった。本人は大学2年生なので、そういうことを考える時期でもあるのだろう。近況を聞いたら、自分の勉強している領域に興味がなくなったとのこと。これが経済学部とか工学部とか、就活でなんとでもなるところだったら良い。彼女が通うのは看護科だ。既成ルートでは国家試験を受け、そのまま看護師になる。もちろん、看護師にならずに別の道もあるが、これから実習も始まっていくのに興味なくていいよという返しは流石にぶっきらぼうすぎる。妹が小学生時代からずっと夢を変えずにここまで来ていたのも知っていたので、驚いた。
本人が希望しないなら、別に看護師になる必要はないと思った。看護科を卒業しても別のキャリアを歩んでいる人はいるし。ただ他の興味が湧くまで待ち続けるのも違うと思った。そんなわけで、興味がないなら、具体的にどんなところに興味がないのか、とか、新しい興味もやってみないことには湧かないのだから本読んだり体験したり世界を広げた方がいい、とか、説教くさいことを、妹のベッドに寝転びながら言い続けた。本人もうんうんと聞いていた。
私は一通り話し終わって、帰路についた。東西線に揺られながら、しばらく妹のことを考えていた。親もたまったもんじゃないだろう。看護師免許なら究極地元でも取得できるのに、わざわざ本人の行きたがっている東京の大学に通わせて、仕送りもしているのだ。一方で、それを重々理解した上で興味がなくなっていることを自覚する妹もつらいだろうと思った。本人だって、興味をなくしたくてなくしてるわけではないし。
そう考え始めたら、金銭負担をしている親がするならまだしも、私が説教するのはお門違いだと思った。自分のキャリアすら、現在進行形でふわふわしている。反省し、LINEで、まずはその悩み自体自分の人生に責任を持って考えている証拠だから決して悪いことではないこと、皆も私も都度軌道修正をしながら生きていること、そんな話をぱぱっと送った。そうして返ってきたのが「迷ってることを肯定的に捉えてダメなことじゃないって言ってくれてありがとう」だった。
迷うことは悪くないと思う。やっぱり看護は違うとなるかもしれないし、もしかしたら迷った結果看護がいいと思うかもしれない。着地がどうであれ、迷って自分で決めた道に覚悟を持って進むのであれば、受動的に流された道を進むよりよく生きられるとも思う。
いろんな局面があるから一概には言えないが、迷うことが肯定されても良いよな〜、自分が相談された意味を考えた方が良いよな〜とか、そんなふうに思う日だった。
後日談 この出来事から3年経ち、本人は看護科を卒業したどころか、助産師資格を得るため助産科を受験し進学したw 今思えばあの迷った時期を経て今その道に意志を持って進んでいるのであればむしろ良かったねという感じw