日陰者にも羨望を、あるいは存在権を

kanen
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最近しずネットの投稿を検索しては読んでいる。多くの人が使っているようで、仲間が増えるようで嬉しい。なのだが、ひとつ気付いたことがある。

ここに書き込まれる投稿って、概ねポジティブな内容が多いなーということだ。日々あったことをさらっとした文体で書いてある、ほんの1粒の清涼剤のような投稿だ。読んでいて清々しいものである。

一方で、なんだ、私の投稿は。ドロドロじゃないか。感情の吐露、叫び、批判、糾弾、罵詈雑言── 当初は、開発者の方にはとても申し訳ないのだけれども、ここまでメジャーなメディアになるとは思っておらず、ただ誰の目にもとまらない書留をする場として使っていたのだけれども、なんだかある種の表現場所になっているような気もしてくる。私が波打ち際だと思っていた場所は、意外と多くの人が出入りする港だったようだ。

こうなってくると立場が悪い。やはり明るくてみんなから読まれやすい投稿は多くの人から支持されて、たくさんのニュースレターが郵送されるのだろう。一方で、日陰者の私はしずしずと、いや、ぐずぐずと、誰からも受け入れられない自虐めいた投稿をし続けるのだろう。いいんだよね、こういう使い方をしたって、ねえ。

世の中、明るい人が好かれる。それは最もだし、なんというか、しょうがないことだ。そして明るい人は明るい人とつるみ、シナジーを起こしてまた明るい人向けのコミュニティを興し、人を惹き付けていく。日陰者はその場にいる人を羨望し、「来世では陽キャになりたいな」などとハンカチを噛んで見つめることしかできないのだ。

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新たな場所には新たなコミュニティが形成される。それはここ、しずかなインターネットでも起きるような気がしている。いずれ講読者同士でオフ会とかするんだろうなーいいなーなどと、負の妄想が止まらない。

じゃあ、明るい投稿を心がけてみるか? と思えど、明るい投稿は短文で「楽しかった✌️」とか「最高、マジ神😭」とか言えば済むので、ここに書くまででもないのである。だから、明るい話題でエッセイが書ける人は本当にすごいと思う。尊敬する。

そうなってくると、もう、ここは割り切って、日陰者らしい投稿をしていこうじゃないかと考えている。需要は少なくてもいい。なんなら需要なんてなくてもいいのだ。私が満足して書ければそれでよいのだ。そう思うしかない。

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話は変わるが、私と親密な仲になる人はどこかしらに影を感じる人が多い。根っからの陽キャはいない。不思議である。私は陽キャと仲良くなりたいとは思っているが、いざ陽キャと接すると何か違うなと感じてしまう。あふれでる陽キャパワーに気圧されてしまい、愛想笑いしかできず、自然と距離が置かれてしまう。かなしいね。

だから陰キャは陰キャ同士でつるむしかなく、負の再生産がなされ、陰キャは陰キャコミュニティ、陽キャは陽キャコミュニティと、性格によって住む世界が分断されていくのだ。大袈裟な話ではあるが、何となくそんな気がしている。

そしたらもう、こうなったら陰キャの中ででもいい、そうでいいからそのなかで羨望を浴びたい、などと考えはじめる。もう、陽キャは世の中を回しておくれ。私は私の周りの人と生きていく。もうこの際、称賛はいらない。この場で吐き出させておくれ、と、一部の人からは噴飯ものな発想になってくる。

それでもいいのだ。いいんだ。そう言い聞かせながら、こうしてつらつらと日陰者の吐露が流れていくのだ。

@kanen
長文でお気持ちをツラツラします。チクチクめです。