たまに乗るバス

加熱
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※ただの日記。生きている。

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 通院先から気まぐれに、地域のちいさな路線バスに乗って帰ることがある。最寄り駅のいくつか前に終点があり、そこから電車に乗り換えて自宅に戻る。

 街中を走るバスはあまり好きではない。大きな車体で窮屈そうにせせこましく走るバスの車内にいるだけで、かなり疲れてしまうのだ。信号、右左折、路線変更。暑すぎる暖房にげっそりしながら、横揺れ、縦揺れ、エンジンの振動、オエッ……。バスに対してややネガティブな物言いをしてしまったが、とても重要な交通機関であると認識しています。悪しからず。

 弱すぎる三半規管で、それでもなぜかちいさなバスに乗る。交通系ICカードをピッとやりながら、運転士さんに「オネガイシマス」と会釈する。たいていいちばん奥、カチカチのベンチシートのはしっこを陣取り、読書をしながら発車までしばし待つ。コミュニティバス特有のゆったりした空気。ちなみに出発したら本は閉じる。死ぬからだ。

 バスは住宅街をのんびり走り、そんなところいけますか?というような細い道を器用に曲がっていく。小学校の前で停まり、団地のど真ん中で停まり、なんかよくわかんない施設の近くで停まる。そんな施設あるんだ。ひとびとが暮らす街のなかを、バスは健気に泳いでゆく。振動でびりびり揺れる紙広告。地域のクリニックや事務所をふんわりと宣伝しながら、気がつくと車内にバスのテーマソングが流れていたりする。わたしのこと、勝手に地域のひとだと思っているよなあ。

 地域のひとである。管理会社に「特に必要ないですよ」と言われて町内会にも入会していないような、地域のひとである。たぶん存在するであろう町内会になるべく迷惑をかけないようにお行儀よく暮らす、半分よそものの、地域のひとである。

 帰属意識の薄い現代人だ。この地域を第二の故郷と呼ぶこともたぶんない。故郷はひとつだけ。田んぼばっかりで街頭の少ない、暗い帰り道を思い出す。神社を囲む鎮守の森を、まっくろな巨大怪獣と思い込むことで恐怖を紛らわせた。怪獣よりこわいものを身近に感じ取っていたのだろうか。そんな中急いで自転車を漕ぐと虫が顔面にばちばちぶつかる。なにか手のひら大のものがぶつかってきたと思ったらコウモリだ。(ぎりぎりで避けてくれるが)ああやだやだ。第一の故郷、わりと嫌い。

 ここを第二の故郷と慕う気もない薄情なわたしにも、ちいさなバスは歌をうたってくれる。街のなかを路線図に沿ってせっせと連れまわし、地域のひとしか用のない場所を、自慢げに見せびらかしてくれる。

 お前はどうだか知らないが、私はけっこう気に入ってるよ、お前のこと。

 心のなかで愛を囁きながら、老人やこどもに紛れて降りる。終点!

@kanetsing
鍛え抜かれた鬱で勝利せよ。トラウマティックサイバーポメラニアン。