つらい。ぼんやりと悲しみに暮れている。
乱れ狂う生活リズムをむりやり操って朝のうちに起きた。よかれと思ってカーテンを開ける。ぴかぴかに晴れた空。上天気だ。再収穫のために豆苗を水につけているタッパーを日当たりのいいところへ出してやる。よかれと思ったのだ。
やはりよかれと思って洗濯機を回した。床のほこりが気になり、キッチンまわりの床をそうじする。最近暑い。衣替えをしたいが、その前にクローゼットの床のほこりも気になった。中のものを引きずり出し、不要物を処分して掃除機をかけ、拭きそうじをする。ちょっと水分が残ったようなので、除湿乾燥機の風をいれてやる。
真冬用の中綿ブルゾン、クリーニングに出すと高いんだよなあ。自分で洗えるかな。検索。合皮の秋用ジャケットを硬く絞った布でふいてやり、よかれと思ってついでに除湿乾燥機にあてる。なぜかエアコンのフィルターまでそうじする。
そろそろ気持ちがつらい。よかれと信じていろいろしたが、別にしたくてしたのではない。勘違いしないでよね。手が震えてくる。悲しい。
昼過ぎだった。手の震えも悲しみも、食事をせよと訴えていたのだった。お腹などすいてはいない。(空腹センサーが壊れているので、脳のほうもよかれと思って手に震えを起こしているのかもしれない。)
なんかいやだと思いながら、冷凍ごはんをチンした。冷凍ごはんのことも愛しているが、世界のぜんぶがうっすらいやなので、冷凍ごはんを前にしても、ちょっとなんかいやな気分なのだ。よかれと思ってインスタント味噌汁をつくる。購入当初より味噌の色が濃くなっている気がする。それは別に構わないのだが、ああ、いやな気分だ。
午後もよかれと思ってなにかしなきゃと考える。味の濃い気がする味噌汁をすする。ぼんやりと悲しい。生まれてこなきゃよかったよ。白米っておいしいね。生まれてこなきゃよかった。
落ち込んでいて何が悪いのだろう。たしかに落ち込みすぎて療養するしかなく、経済的に追い詰められているが、落ち込むことのなにが悪いのだろう。死にたくてなにが悪いのだろう。
わたしは生を礼賛しない。生きているだけですばらしいなんて思わない。何かの役に立ちたいし、それは自分に誇れることであってほしい。なんでもよくなんかない。
空がオレンジ色をふくんできた。悲しんでいるうちに夕方になろうというのだ。悲しくて死にたくてもいいじゃないの。生まれてこなきゃよかったと思ってもいいじゃないの。洗濯物が乾いているか、こわくて確かめられもしない。よかれと思って吹く風が、洗濯物どうしをぴったりくっつけてしまっている。
みんな良かれと思ってんだぜ。あほくさいよな。