※思い出深い虐待エピソード。苦手なひとは注意。
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ふと、実家の裏口から見える雪景色を想う。
家屋を取り囲む庭。裏口まわりは日当たりが悪い。陰気な植物がひしめき合うようにして日陰にひそむ。葉蘭の茂みがあり、中から何か飛び出してきそうで、小さいころは恐ろしく感じたものだった。(もしかすると今も)
裏口からコンクリートの道が3〜4mほどのびて狭い公道につながっている。道は狭いが、なんせど田舎である。まわりに塀もなければ建物もないので見晴らしがよかった。雪が降ると一面が雪景色になる。
首根っこをつかまれて裏口から放り出されたあの日、わたしは多分4つか5つくらいの幼児だった。とっぷり日の暮れた寒い夜。3つ歳の離れた弟が、話の通じない乱暴ものだった頃のことである。
なぜかいかめしい表情のその赤ん坊は気性が荒かった。わたしは手近な遊び相手としてよく手加減のない攻撃を受け、当然しょっちゅう喧嘩になった。わたしは口の達者な幼児だったが弟はちっちゃすぎ、何を訴えても不機嫌な顔をするばかりだ。その日はとくに手ひどい攻撃を受けたため、口で嗜めようとした幼児のわたしにもすぐに限界がきた。ベチ!と叩いて、弟を泣かせてしまったのである。
父は夕食で必ず熱燗かビールを飲んだ。土日は多少の深酒もした。父はもともと頑固で自己愛が強すぎて話の通じないようなところがあったが、酒を飲んだ父は全く話の通じない正真正銘の暴君であった。口ごたえする人間が大嫌いで、自分に逆らった相手への攻撃は“正当な復讐”だ。アルコールは容易に箍をはずす。
酒で不機嫌さを隠そうともしなくなった父には、赤子の大きな泣き声なんか堪えようもない不快の種だ。そのときなんと言われたか、実をいうと正確には思い出せない。その時感じた恐怖があまりに大きすぎて、それ以外は瑣末なことになってしまったからだ。
父は騒ぎの当事者かつ多少口のきける私に捌け口を求めた。説明を求めたのではない。ごめんなさいと謝って、ふたりとも直ちに大人しくかつ機嫌よく黙ること。それだけが父の要求だった。ただひとつの正解だった。にも関わらず、幼児のわたしは説明を試みた。溢れる感情のままに。幼児だから。
「だって〇〇(弟)が!」
さあ恐怖の始まりだ。酒で真っ赤になった父の顔が醜く歪む。「口ごたえするな!!!!」怒鳴り、怒りのままに大きな足音をさせながら猛然と、大股で近づいてくる。いやだ!ろくでもないことが起こるとわかって恐怖で固まるわたしを、父は軽々と掴み上げた。暴れる幼児をものともせず、寒くて暗い廊下を電気もつけずにのしのし進んでいく。廊下の気色が吹っ飛んでいくのを覚えている。
暗いところへ連れて行って、なにをするんだろう。今日は少し寒いが押し入れに入れてくれればいいと思った。よく押し入れに閉じ込められたが、押し入れに入ってしまえばそれ以上悪いことは起きないので、暗い押し入れはわたしにとって少し安心できる場所だった。
子供部屋を素通りし、裏口へ向かう。裏口にはビールケースが積んである。父の晩酌のとき、よくビールを取りにやらされた記憶がある。家の中で一番寒い場所。なんだ?例外だった。裏口に“罰”はないはずだ。
強い恐怖。相当暴れたはずだ。何を言っても通用しない真っ赤な化け物に鷲掴みにされ、暗くて寒いところへ連れて行かれる。恐怖だけが鮮烈に、今でもそっくりそのまま私の中に保存されている。
化け物が裏口の扉をひらくと、暗闇に沈む雪景色が一面に広がった。冷たい空気が刺さる。何が起こるか察して、わたしは火がついたように泣き叫んだ。いやだ!助けて!いやだ!暖かい部屋にいたわたしはパジャマしか着ていなかった。なんでもないように、ぽいと雪の上に投げ出された。
きっと一瞬だったと思う。しかしすべてがゆっくりになった。冷たい雪がべったりと素肌に触れる。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。「殺される」は言葉ではなく感覚だった。頭が真っ白になった。扉を閉められたら死んでしまうと悟った。その権利を握りしめて仁王立ちする化け物。殺される。扉がゆっくりと、内側に閉じようとする。殺すつもりだ。こいつはわたしを殺すつもりだ。
おそらく、全くの希望的観測だが、父は扉を閉めるつもりはなかったのだろう。そのつもりならもっとわたしを遠くに放り投げ、さっさと閉めてしまえたのだから。最初から、わたしが父と裏口の隙間をすり抜けて中に駆け込むまで待つつもりだったのだろう。いくら酒が入っているとはいえ、本当に殺すつもりはなかったはずだ。
同時に、場合によっては扉を閉めてしまっただろうとも思う。外に放りだされても、わたしが無実を訴えたときには。「弟が先に手を出したのに、わたしだけこんな目にあわせるのはおかしい」と訴えたときには。
今のわたしはその恐怖がもう去ったのだと、過去のものだと理解している。世の中にはほんとうに冬に締め出されて凍死してしまう子どもがいることも知っている。
「こんなにひどいことをされた」ということを訴えるつもりでこの文を書いているのではない。
残るのだ。恐怖がそのまま。理性で事実を読み解いたところで何の意味もなかった。深々と心に突き刺さった恐怖が、その痛みが、そっくりそのまま残るのだ。誰に何を言われたところで、その出来事を思い出すたびにまざまざと恐怖がよみがえる。
その瞬間、いつでもわたしは幼児に戻る。ろくに抵抗もできず、相手が殺そうと思えばその瞬間に死んでいたような、弱くてどうしようもない生き物だ。そんな幼児がふとした拍子によみがえる。だからほんとうは、何も思い出さないでしっかり包帯を巻いて、大事に大事に毛布でくるむことだけが傷を癒す(あるいは忘れてしまう)唯一の方法なのだ。(これより後は、しっかりそうするつもりだ。)
書いている間、みっともなく手が震えた。不安に恐慌をきたす神経が心肺をぎりぎりと締めつけた。夜闇と、星の光をうっすら白く反射する一面の雪。その光景とともに恐怖が鮮明によみがえる。この癒えない恐怖を、父も、それを見過ごした母も、まったく知らずにいる。今でも恐怖に震えるわたしを知らずにいる。
みなさんには、できるだけ幼児を保護してやってほしい。なるべく命の危険がないように。たとえ怖いことがあっても、それは終わったのだと、今はもう安全だよと寄り添ってやってほしい。
わたしもそうするから。よろしく頼みます。