※note記事だったものを再掲。自覚が遅すぎた虐待サバイバーの自己紹介。
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人混みに紛れて歩く。すれ違うものみな人間だ。たまに犬。
生まれ育った故郷をひとり離れ、人間がこすれて暮らすなんだか凄まじい土地に居を構えた。電車がせわしなく行き交い、車は休むところにも不便する。人、人、人だらけ。だから紛れやすい。なんせ情報量が多いので、人間を見かけたら「人だなあ」と認識するくらいでちょうど良い。そんな中でせっせと生活に明け暮れるうちに何度か仕事を辞め、考えすぎの病で入院するなどありふれた通過儀礼を着実にこなして今に至る。
あなたの周りに「しょっちゅう死にたがっている人間」はどのくらいいるだろうか。家族に、友人に、同僚に。SNSならば簡単に見つかるだろう!現実の人間を検索にかけることはまだ難しいので、死にたそうな人を観察したいならSNSをおすすめする。絶望に関する何らかの知見が得られること請け合いだ。
もちろんわたしもしょっちゅう死にたがる。死ぬほどでもない失敗や挫折に際して律儀に心を折り、自分なりに一生懸命死のうとする。真っ当に育った人々から「そんなことで」驚かれるような衝撃が、常にギリギリの精神ゲージを見事に削りきってしまうのだ。
そうなると抑うつ状態に一直線で、食事も入浴もままならないのに「自宅のどの位置で死ぬべきか」検討を始める。クローゼット、玄関ドア、ベランダの手すり……ふだんロープを使わないタイプの人間なので、代わりにタオルで景気良くやるつもりでいる。そのうちに各所の耐荷重や“確実性”に不安を覚え実験の必要性を訴えるものの(解離してしまって他人事だが訴える先は自分自身である)、もちろん入浴や食事に苦労するくらいなので死ぬための準備は全く捗らない。自分の体も支えられない。うつの人にはなにもかも重すぎる。
自分を処分することもできないのかと絶望を重ねて怨念の塊になりながら、ねむったりねむれなかったりして過ごす。大家さんになんて言おう。「犬にでも噛まれたと思ってお忘れください」「この部屋のことは大好きです。恨みはないのでご安心を」。
そんな状態ではもちろん文章を書くことなどできやしないので、ではこの記事が存在するということは、わたしはまたもや死に損なってまんまと少し浮上してしまったということです。
生活もままならず、世話をする人もいないのに、今回はちょっと絶望の波が過ぎたころに上手にカウンセリングに転がり込んだ。なんと前日にシャワーを浴びることまでした。食事はままならないのでおなかをすかせながらのセッションだ。感染症対策のサージカルマスクを内側から鼻水でビシャビシャにしながら(何重にも最悪の気分だった)、「助けてください」と絞り出すように言った。
ところで、虐待サバイバーというものをご存知かと思う。幼少期になんらかの虐待を受け、特に助けられることもなく傷ついた心のまま成長して大人になると、社会生活に悪影響を及ぼすことすらある。仕事が続かない、人間関係のトラブルが多い、いつまでたっても生きづらい。中には(もしかするとたくさん)しょっちゅう死にたがる者もいる。
しょっちゅう死にたがるわたしも実は、幼少期に虐待を受けていた。語りたくなったら語るので詳細は一旦置いておく。そして恐ろしいことに、自分が虐待サバイバーだと気がついたのはつい最近のことだった。30歳を少し過ぎてようやく自覚したのだ。 自分の育成環境について、「まあちょっと問題があったかも」という認識があった。「父親がちょっと気難しくて」「母親は父の言いなりで」「父親がしたことの一部は虐待と言われても仕方がない」…… ストレートに虐待だった。父のしたことも母のしたことも、とてもしっかり虐待だった。ああ!虐待!
この歳になっていい加減生きづらさに嫌気がさし、ひとに話を聞いたりいろいろ調べて本を読みまくったのが発端だった。だってなんかもういやだった。毎回仕事を辞めなきゃいけないし、回復するたび就活だ。志望動機?知るかそんなもん。ないものをひねり出すのは毎度つらかった。何回やり直せばわたしはまともに生きられるようになるんだよ。
どうしても「生きづらい」。そのことだけを手掛かりに文献を読み漁った。複雑性PTSD、発達性トラウマ……確信が持てない。そんな中で虐待サバイバーに関する本にぶち当たった。
虐待!身体じゅうにあざが残るような暴行、餓死するほどのネグレクト。そんな光景が脳裏をよぎった。報道やドラマで出会う虐待のイメージ。「すぐにでも助けなければ命にかかわる」、それが虐待だと認識していた。
『どんな虐待があるのか』。詳しくは藤木美奈子著『親に壊された心の治し方』をご参照ください。
そこにはわたしがいた。わたしの置かれた環境があった。生きるためにと飲み込んだ数々の横暴があった。すべての項目に何かしら当てはまった。父と母が補い合うようにして、幅広く虐待を網羅していたのだ。
お恥ずかしながら衝撃のあまり、電車で本を見つめて固まってしまった。久々の動悸。なんだかお祭りみたいだね、素敵じゃん。すっかり解離的反応がくせになっている。ああよかった!とも思った。苦しみの理由をようやく見つけたのだ。実はずっと待ち望んでいた。ずっとずっと苦しかった。わたしが勝手に生きづらくなったんじゃないんだな。クソが!
親を責めるつもりはない。仏心などではなく、単に諦めているからだ。かたや話が通じないし、理屈でものを言っても「生意気だ」「口答えするな」と血管が切れんばかりに怒鳴り散らすだけだろう。かたや何かを憐れんで泣くばかりで(おそらく自分自身を)なんの解決にもならないだろう。さんざんやってみたので知っている。わたしに人格があり、固有の考えがあることを認めてほしくて。悲しい思いをするだけだから、責めたり謝罪を求めたりしない。できない。
きっとそんなことが、この世の中に溢れかえっているのだろう。虐待を受けたことにも気づかず、傷をむき出しにしたまま、なんとなく生きづらさを抱えて歩く大人たち。
そのへんの人混みをちょっと歩けば、きっとわたしとすれ違うだろう。どうぞよろしく。ごきげんよう。
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※この後まんまと悪化するのであった。