※生存報告。オチはない。
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人間ひとりひとり、人生ひとつひとつに、特別にあつらえられた地獄が存在する。成人するころには持っていた信念である。どこから来たんだろ?
誰かにとって「そんなことで?」と思うような出来事でうち沈むような人間にも、やっぱり「そんなことで?」と思うような他人の地獄が存在する。わたしに効かないものはわたしの地獄には用意されないので意外に思ってしまうのだ。「ふわふわの犬に囲まれると苦しく、つらい」という人ももちろんいるはずだ。わたしに(苦しみの種としては)効果はないというだけのこと。
最近うつ病が悪化して、皿が洗えないとか風呂に入れないとか、それなりにオーソドックスな悩みを抱えている。同じようにうつ病が悪化した人々の話を聞くにつけ、「わたしにはそれができない、この人は十分元気ではないか」「この人にはできないことがわたしにはたまにできる。できるなら頑張ってやらないと」「もっと元気にならないと」などと自他を追い詰めるような思考を繰り返す。
もちろん比べる意義など存在しない。無意味、むしろ悪影響ですらある。元気がなくなるにつれてできなくなることがそれぞれ違うのだ。
わたしはすぐに皿も洗えず風呂にも入れなくなるし、しょっちゅうゴミを出しそこねるが、最後の最後まで食後の歯磨きはできる気がする。なんなら食事ができなくなる方が早い。最後の晩餐と最後の歯磨き。世界は滅亡し、歯ブラシはその役目を終える。
真っ先に歯磨きができなくなる人もいるだろうな。ちっちゃいブラシを延々細かく動かして口の中を泡だらけにすることは、見ようによってはアホみたいな行為だ。しかも「サボると虫歯ができる」などと大人たちに脅迫されて育つものだから、苦手意識を抱いたとしても不思議ではない。元気のないときなんて、尚更したくないよなあ。
(冗談を盛るくせがあるので念のため言っておくと、最後の晩餐のあと世界が滅亡する認識はとくにない。あの人たちも歯を磨くのだろうか。)
できることのうち、「やらないよりはマシなこと」を繰り返しながらなんとか生きていく。死んだほうがマシな日も何日もあったようなのだが、天秤をよく見ると微妙に針が振りきらない気がして、揺れが止まるまで様子見する間は生きている。そんな感じである。
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※投稿後ゴミ出しに成功する予定だ。