「自傷行為はしたことがないです。手首を切るとか薬をたくさん飲むとか、後がこわくてできない。そんな意気地もないんです。」カウンセラーにそう伝えたことがある。
自傷行為は死ぬためにするものではない。苦しみの発露だ。死を招いてしまうこともあるので、“生存する”という観点からはなるべくしないほうがよいものである。しかし、苦しみを抱えきれずに自分を傷つけてしまうひとはたくさんいる。多分、思っている以上にたくさん。
さて、あなたは自分がどういうタイプのモンスターか、しっかり把握しているだろうか?
うつ病とはかなり長いつきあいで、生まれてこの方内省ばかりしているわたしも、最近までその“技”に気がついていなかった。自分の身体に傷が残らないために、ダメージが可視化されないのである。「非常に心が苦しい」「つらい気持ちが長い間続く」「打ち沈んで死ぬことばかり考える」。そんな状態をもし他者に与えたならば?それは立派に攻撃であり、そんなことをしてくるやつは魔物の類といって差し支えない。
我々は人間社会に生きている。他人を傷つけてはなりません。それをするとどうやらまずいので。たしかにそうかもしれませんね。やめておくのが吉!
「こころやさしくあれ」と望まれ、それに応えたいと願うような人物でも、攻撃技を持っている。攻撃技は本来自分を守るためのものである。爪で引っかく、噛みつく、手に持った道具で殴打する。社会性と複雑なコミュニケーション手段を持つヒトという種族は、精神に干渉する攻撃技も得意とする。対象を否定する、罵倒する、自分には価値がないと思い込ませ、理不尽な要求を飲ませやすくする。
うつ病が悪化すると(わたしの体感だが)、思考回路が「死ぬべし」という理念を祀りあげ、我々はそのように行動する。
本能として、また社会通念として“生存を続ける”ことを良しと生きてきた経験があるならば、「それはまずいのでは」と頭のなかの理性や道理があわてて引き止めようともするだろう。しかしマザー・コンピュータは「死ぬべきです」と微笑むばかり。
実は理性や道理にも労働基準があり、なんかすっごく疲れたなあ、ねむいなあ、と思ったら休憩をする。マザー・コンピュータはおかまいなしに「死ぬべきです」と朗らかに命令を出し続ける。そういう時に“技”が出る。排除すべき対象にむけて。そうです、わたし自身、あなた自身です。それが自傷行為。
自分になら攻撃技を向けていいのか?いいわけないのである。
物理攻撃タイプについては、その道の魔物のみなさんにお聞きいただくのがよいかと思う。物理攻撃タイプならではの苦しみと葛藤があることだろう。今ならちょっとわかるかもしれない。つらいよね。
精神攻撃タイプの魔物であるわたしの場合、すべての情報を「死ぬべき理由」に結びつけ、「死ぬべきであるのにそうしない」「その能力や知識が不足している」ことを絶え間なく責めつづける。思考に綿密に“死への指向性”が織り込まれ、どこを拡大してみても“死ぬべき”という暗号が読み取れるタペストリーが出来上がる。
それとは別に、地盤のゆるい山道のようにしょっちゅう落石がぶち当たるような感覚もある。ゴロゴロ!ドカン!死ぬべし!今何しようとしてたっけ?精神がぐちゃぐちゃでわかんない。そんな日常。
(いろいろ書いてみたが、別にわかられなくてもいい。「自分と同じような技だ」と安心する魔物もいるかもしれない。それはそれでいい。)
そういうとき、とりあえず一旦「マザー・コンピュータが故障してるからな」と思考をやめる。微笑むマザー。死ぬべきなのですが?マザーそれしか言わないじゃん!壊れているのよ、あなた。これがうつ病のひとつの症状である。マザーがちょっとおかしくなっちゃうのだ。
そしてマザー・コンピュータの調子が悪いとき、正常に働く別の回路をレンタルすることができる。クリニックやカウンセリングに通うことで。その道の故障に詳しいので、だいたい「よくあるんですよ」と言われる。へんになっちゃうマザー、たくさんいるんだなあ。
明日のカウンセリングまでわたしは思考をやめる。お金がないから死ぬべきで、健康でないから死ぬべきだし、洗濯できなくて死ぬべき、昨日から何度もゴミ箱につまずいて転んでいるから死ぬべきだとマザー・コンピュータが叫ぶ。うるせえうるせえ。折り紙を折ろう。折り紙を折ったから死ぬべきか?そうです。うるせえよ。くらえぴょんぴょんうさぎ。
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※カウンセリングまで生存しよう!がんばれ!