なんかXとかインスタ、tiktokやってると思うんですけど、「おすすめ」されるのっていい面もありつつも段々と疲れるんだよな これはみんな言ってるんですけど…
慣れているように思えてもちょっとづつフラストレーションが溜まっているんだとふと気づくので、最近は犬の動画しかいいねorみないようにしてSNSの「おすすめ」を「超可愛い犬たち」で保ってるんですよね。
でもたまにこうあるじゃん?なんか世間のそういう…燃えたり燃えなかったりそういうの…昼とかにさあ、ご飯食べながら「おっ何?」と踏んじゃっていくつか見たりするとともう「おすすめ」が全部そういう感じになり…庭にミント植えたみたいにすべてがそういう感じ…なおすすめになっちゃうんだけど、本当に悲しくなっちゃうんですよね。
あと、「おすすめ」で他人の感情(特に怒り)にあてられるのはよくないな〜と思う。みんなの怒りの感情が流れてくると自分も「これは怒っていいんだ」と謎の勘違いをすることがよくある。立ち止まってみると「いや全然怒りポイントないじゃん」「むしろ怒れないよね」みたいなこともあるんですよね。
なんか西洋の祭りとかで、ほんとでかい木の人形を火にくべたりするやつ、あれ年1だから楽しいんであって毎日やるもんじゃないんだよな〜としみじみ思う。
(wikiのウィッカーマンのイラスト、顔が高校時代の先生に激似)
情報の取捨選択を「こういうのが好きなんだよね?」と出してもらうのは楽ちんでいいんですけど、ずっと同じようなもの見て同じようなところで同じような人たちの意見ばかり見続けていると、自分の世界が小さくなっていって、しかも気持ちも浮き沈みするしよくないなと最近感じる。
考えることをやめるのと、楽になることって違うと思うので、自分の大事なものを自分で選びとれるという楽しさ・仕組みをもう一度考えたいな〜と思います。
そういうわけで同じくSNSついて考えているゲームシナリオライターの友人にインタビューしたので、次の技術書典で「わたしたちがすごしたインターネットの青春とこれから」的な同人誌を出します。よろしくね(若干のPR)