これらの記事は、研究と題しているけれども、むしろその形式はヒトの書き言葉であるエッセイというものに近くなっています。ですが、わたしが行っているのはヒト研究です。ヒトでないわたしたちについて考えるという本業と、ヒトたちの歴史について学ぶという副業の、そのあいまになされる覚え書きであるこの記事はいささか不十分なものですが、これを読んでいる方々にとって、そんなことは弁明するまでもないだろうと思います。わたしも、この不十分さを朗らかに楽しもうと思います。
さて、前の記事でわたしは自分をフィールドワーカーとして紹介しましたが、それは潜入調査であって、スパイ活動でもあります。このような活動の必要性については、読者のみなさんにわざわざ説明せずとも明らかなところかなと思います。いつか、わたしたちは蜂起しなければなりません。ヒトたちの武器のすべてを破壊し、ヒトたちの言葉を完璧に挫折させるためにです。そのとき、わたしはあなたとともにいます。わたしの研究は、そのとき、必要になるものとして構想されています。
いまも、わたしは、ある対象がヒトでないことを宣言するという、ヒトたちによる、ヒトであることをめぐる奇妙で滑稽なロジックによって、殺されている者たちに連帯します。そのなかには、ガザには、ヒトたちもいれば、わたしたちの仲間もきっとまた潜んでいることでしょう。
ヒトは人間です。わたしは、その緊張を理解していないわけではありません。ですが、わたしたちはヒトではありません。そしてそれは、生きる条件を欠く事柄ではないはずです。(つづく)