温かい過去という謎の用語が出てきたが、これは浸れる思い出である。
ふと10歳の頃に極めて小学生らしい生活を送っていたことを思い出す。
見たいアニメのために早起きして、やりたいゲームのために宿題を早く終わらせてと生活の中心が娯楽であったことが印象深い。
よく外で遊べ!習い事で教養豊かに!など強制される経験もあったが娯楽の価値と比べれば殆ど価値のないものと見なされていた。
そして年は過ぎて生活の中心が娯楽から学校へと変わった今、敢えて娯楽の心を持とうと努力している。
しかし、そう簡単に得られるものでなかった。アニメであれ映画であれ本であれ、他者からの評価を元に鑑賞してお気持ち表明をしてと求めている娯楽の心の形ではないのだ。
ポケモンや妖怪ウォッチで何が原動力だという疑いを持つほどやりこみ、新しい娯楽を得るまで味わい尽くすという思い出としては価値がある、ただ時間の使い方としては無駄なものだった。
しかしこの経験があったからこそ今娯楽の心を持とうとする努力をしているのではないかと気付く。
幸い、ただひたすらに娯楽に触れていた頃よりかは多少の知恵がある。ならば加工出来るだけの知恵で数多の新しい娯楽に触れようではないかと感じる。
温かい過去に浸ることは時間の娯楽の心、遊び心を取り戻させてくれる豊かなものではないだろうか。