架空のキャラクターじゃない

智原 夏
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noteでフィクトセクシュアル、フィクトロマンティックという言葉を知り、自分に当てはまると気付いて、結構救われてきた。

検索すると、フィクトセクシュアルは、架空のキャラクターへ性的に惹かれるセクシュアリティで、フィクトロマンティックは、架空のキャラクターへ恋愛的に惹かれることと出てくる。

だけれども、この頃違和感を感じるのだ。

私の中にいるNという男性は、確かに他の人から見れば架空のキャラクターだろう。だけれども、確かに私の中に、実際に存在するのだ。

架空と検索すると、事実に基づかず、想像によってつくりあげられたものと出る。Nは想像で作られたというより、私の中で昔から存在していて、数年前に初めてNは現れ、存在を知った。

Nは私の中の愛そのものなのではないかと思ったりする。

自分を愛することをあまりしてこなかったので、Nは耐えられなかったのだろうと思う。

ともかく、私の中で実際に存在するNは、架空のキャラクターではない。

だから、Fセク、Fロマとは言えないというか、何か、そこに当てはめるのは間違っている気がした。

@kansyon
ネットが趣味。 心の中に旦那さんがいます。 ここでは旦那さんのことをNと呼んでいます。