居場所は自分でつくるもの

かおらべ
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作業所通いを11月いっぱい休みにした。いろいろと思うところがあって。

「ここはわたしの居場所ではない」そんな思い込みが頭の中を占拠していたのだと思う。じゃあ、居場所はどうしたら見つけられるのだろう?

先日、血迷って「家すらも自分の居場所だと思えない」とつぶやいていた。

でもそれは血迷い過ぎで、やっぱり家は何分の一かであろうとも自分の居場所なのだ。ここで100パーセント専有で認めてくれる居場所を求めようとするから、つらいのだと思う。

今年はそうやってイチゼロでぶった切ってしまったモノゴトがたくさんある。自分の辛抱がきかなくなってきたなあと、加齢のせいか(本当は年を経たなら思慮深くなっていたいものだが)とひとりごちる。

自分に100パーセントマッチする場所とかモノとかコトとかなんてありえないし、そんなものが仮にあったとしても長続きはしないだろう。

わたしは本当に他者の存在を無視して純粋培養たることを望んでいるのか?

いや、そんなことは望んでいない。ひとと関わり合って、楽しみたいと思っている。

居場所というのは、ひととの関わり合いの中で生まれるもの。

もしかしたらわたしはひととの関わり合いを恐れた結果、イチゼロの短絡的思考に陥っていたのかもしれない。

今一度、ひととの関わり方を見つめ直そう。自分の在り方自体も。

そうしたら、きっと居場所は見つけられる。自分でつくれる。

そんな希望を抱いて、今日も生きてみよう。

@kaorabe
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