わたしがX(旧Twitter)を使っているときに痛いくらいに感じるのは、「いいね」をもらうことで承認欲求を満たそうとしているということだ。
ここ、しずかなインターネットに書くことも承認欲求を満たそうとする欲のためのひとつの手段なのかもしれない。
ここに書くことが、倦み疲れがちな毎日を乗り切り、生きていくひとつのモチベーションになっている。
以前こんなふうに書いていた。書くことを純粋に楽しめているのか、それとも毎日更新に縛られて楽しめていないのか、複雑な気持ちになる。
わたしの好きな書籍に「読みたいことを、書けばいい。」というタイトルの本がある。その本ではズバリ「承認欲求を満たすには書くという行為は割に合わない」と書いてくれている。
そうだよなあ。そうとわかってはいるつもりだけれど、書くことがやめられない。これは嗜癖(addiction : アディクション)なのだろうか。
嗜癖(addiction : アディクション)とは、ある 特定の物質や行動、 人間関係が本人 周囲の人々に、 都合の悪い事態が引き起こされているのに、その習慣にハマってしまいやめられない状態をいいます。
書く以外の表現方法もいろいろ試した結果、今に至っている。絵を描くことも好きだ。
上ばかりを見てもうたくさん神絵師や神作家がいるから自分は何もしなくてコンテンツを消費し続ければいいやってさじを投げるんじゃなくて、表現者、創り出す側でありたいんだよな。承認欲求うんぬんよりも、創り出したい。
でもいいねもほしい。
と書いたところで、ナナヲアカリさんの曲を想起した。TikTokやInstagramでいいねがほしい、くれよというテーマの曲だ。
曲中の合いの手「んーまっ!」が好き。
承認欲求、いいねがほしいと感じるのはSNSにどっぷり浸かった現代人の病理みたいだ。もしかしたら若い人はもっと切実にいいねがほしいのかもしれないな。
表現手段も、世に出す場所も、IT技術やインターネットが発展してすごく増えたから、参入ハードルは下がった。でも競争は激化してるんだろう。
バズは狙っていない。むしろ忌避している。豆腐メンタルなので。
でも、しずかなインターネットのリンクをXに放流するし、InstagramもBlueskyも更新してる。結局誰かに認めてほしいんだな。