NOOK

柿﨑 薫
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 海外、特に欧米の部屋を見ていると、時どき目にする空間がある。壁の一部をくりぬくようにして作った小部屋。そこは大抵ソファやベッドとして利用されており、中には小さな本棚が設置されていたりする。ちょっとした隠れ家感、秘密基地感があってすてきだ。alcove bedなどのワードで画像検索すると色々なくりぬき空間を見ることができる。

 最近、このような空間をnookと呼ぶことを知った。辞書的には人目につかない場所、引っ込んだ場所という意味らしいが、転じて「部屋の隅っこにある居心地のよいスペース」を指すためにも使われているようだ。

 この名を知って以来、私は寝ても覚めてもnookのことばかり考えている。朝食を作りながらnook。着替えながらnook。電車の吊り革を眺めながらnook。仕事中はなんとか正気を保っている。夜は世界のさまざまなnook画像を眺めてから眠りに落ちる。だが本当は見るだけではなく作りたいのだ。今すぐ。nookを。しかし残念ながら今の部屋にnookに改造できそうな空間はない。ならばどうするか。壁を掘るしかない。

 まず、くりぬいた空間にふかふかのマットレスを敷き、大きめのクッションも置く。更にマットレスの頭側の壁をくりぬいて棚を作り、本棚から厳選した一軍の本をずらりと並べる。雰囲気を出すためにランタン的な光源も置く。完璧だ。

 週末の静かな夜を完璧なnookで過ごしていると、簡単な夜食が欲しくなってきた。キッチンまで行くのは面倒なので、壁を更に掘り進めて簡易キッチンを作り、保存の効く食材をしこたまストックする。興が乗ってきたのでどんどん掘り進めて小さなシアタールームなんかも作ってみた。寝る前にシャワーを浴びたいが風呂場まで行く必要はない。キッチンを作っているとき偶然にも温泉を掘り当てたからだ。

 快適すぎてもはや最後にnookから出たのがいつかわからなくなってきた。髪は既に平安時代の貴族女性かと思うほど伸びているし、爪にいたっては鋼の錬金術師でハボックをぶっ刺した時のラストみたいな状態になっている。本が読みにくいことこの上ない。

 今朝、保存食のストックがついに底をついた。仕方がない。重い腰を上げて久しぶりにnookから這い出ると、そこにあるはずの部屋はなくなっており、砂埃が吹きすさぶ赤茶けた荒野がどこまでも広がっていた。呆然とする私の足もとに新聞の破片らしきものが飛んできた。そこには「汚染」「火星」「移住」の三文字が辛うじて見える。

 その意味を理解するより先に、破片は再び砂埃にさらわれて飛んでいってしまった。バケモノは髪と爪を引きずりながら巣穴へと戻っていった。