マンガ編集さんと作家さんの話で、作家さんは自分の描きたいものを描こうとするけど、編集はその作家さんの(読者から見た)良さを伸ばしてあげないといけない というものがあった。
これはプロでなくとも似たところがあって、往々にして描きたいものと評価されるものは違うし、好きなものと得意なものは違う。
個人の趣味である場合、この葛藤の解決には2通りあって、他人の評価を攻略することそのものに楽しみを覚えるか、逆に、他者評価そのものを切り捨てて考えるかだ。
他者評価の攻略そのものを楽しめない場合(これは悪いことではなく、価値観や考え方によって避けられない事がある)、さっさとこのあたりを切り捨てて自己評価で満足する方向へ舵を切るのが良い。つまり、SNSの数字で作品の価値を考えるのではなく、自分が以前よりうまく出来たのか、新しく出来た部分はあるのか、と、そういったところを見る。
自己評価の良いところは、実質的な成長に繋がりやすいということだ。作品を作ってはみたものの、新しいことは全くしてないし技術的な向上はないなと思った場合、次は別な方法を試してみよう、という反省が得られる。そして試してみた新しい方法がうまく働かず、あまり良いと思える作品が出来なかったとしても、自分の表現の幅が広がったぞ、いう自己評価は少なくとも得られる。もちろん、実際に技術も会得している。
自己評価によって自分の成長を促進し、実感するというのは、自信にも繋がっていく部分がある。
とはいえ、何事も0-100ではないので、「中間」を狙うことは出来る。評価を狙いつつも、こだわりポイントをねじ込んでおく……といった感じだ。
もし自分の考えた最高な作品が、他人には咀嚼しにくいものである場合、その味を知る前に吐き出されてしまう。これは実に勿体ないことで、逆に言えば、少しだけ工夫すれば「この味はいいね」と言ってくれる人が増えるかもしれないということだ。
咀嚼しやすくする、というのが、つまりは「他者の評価を狙う」ということに繋がる。本来の味は損なわないようにしながら、わかりにくい部分を修正し、手に取りやすくし、不快であろう部分は隠し……簡単に言えば、これらはすべて「おもてなし」とも言える。
もてなす気があるのか、無いのか。
それをまず自分に問うことで、自ずとこれからどうすれば良いかは見えてくるだろう。
頑固一徹のラーメン屋になり、来客時の挨拶すらせず、味だけで勝負するのか。最低限のもてなしをし、味を気に入ってくれる常連客とのコミュニケーションに重きを置くのか。世間で流行りのメニューを全力でプッシュし、広告を出し、清潔で快適な空間で客をもてなす人気料理店になるのか。
大切なのは、自分が何を求めており、どこまで妥協できるかを探るということだ。