おれと神とコバエの浮いたお茶

カオルさん
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年末年始になんとなく宣言した「2024年は前のめりで行く」を、それなりにやれている気がする。

何の話と思うだろうか? こんなものはいつだって、人間関係のことを指すものだ。

前のめりに、平坦な関係からちょっとだけ踏み込む……それはリスクでもある。リスクを恐れているからこそ、普段は平坦な関係であり続けようとするわけだ。何もしなければ、少なくとも悪くはならないだろうという気がするし。

それでもやっぱり新年だし(こういう口実はとても大切)常にやや外野から茶々を入れるだけではつまらないだろうと思って、前のめりでいる。

だいたいリスクなんていうことを考えていること自体がおこがましい。そういうことを考えているってのは、どういうことだと思う? それってつまり、何かをやるときに「100%成功しようとしている」んだ。

そんな、うまい話があるか!!

失敗して当たり前のことを、失敗するかもしれないと言って避けていたら、何も始まらない。おれも貴様も、失敗知らずの神ではない。いや、神はわりとたくさん失敗してそうだから、こっち側かもしれない。

ともかく、おれは「ダメで元々」とは言わない。それは期待値を下げすぎである。かといって「きっと大丈夫」でもない。それは期待値を上げすぎである。

「どちらの場合もありえる」これでいい。

自分の行動によって状況が良くなるか、悪化するか、それは「どちらの場合もありえる」。

それならば、何もしないよりは何かしたほうが、結果はともかく納得は出来るだろうという話。おれはこのまえ旅行先で入った料理店がガチガチの地元の酒場で、入った2秒後に全身がタバコ臭くなり、値段の割にメシもまずく、お茶にはコバエの死骸が浮いていたけれど、店を出た瞬間に大笑いできたから、あれで良かったと思っている。しかし、成功したとは思っていない。納得だけをしている。

前のめりとは、より納得の機会を増やすということなのかもしれない。他責の範囲を狭めようという話なのかもしれない。なのであれば、おれは思ったよりも良い抱負を宣言したんだろうな。

@kaoru_san
思考の整理との深堀り用。推敲なるべくしたくないので誤字もそのまま!