先日、某有名Youtuber兼VTuberのファンアートをXに投稿したところ(彼の絵を描くと毎回そうだが)それなりの反響を頂き、それを配信内で紹介されるというシーンがあった。彼が準備しているらしい、新衣装の予想イラストを投稿しようという企画だったのだ。
普段であれば、これは素直におめでとう!といったような話なのであるが、幾分普通と事情が異なるのは、彼と私とが、それなりに長い友人同士であるということだ。友達が描いてくれましたと、彼自身も配信内で喜んでくれていた。
思えば、いまの私のインターネット上での親しい友人たちというのは、ほぼ彼起点の繋がりを発端としている。そこから派生して、やれTRPGの知り合いが出来たり、やれ特定のゲームの仲間が出来たりといった具合だ。他の……もっと古い友人たちとは、関係こそ切れてはいないがほぼ疎遠になっている。
というわけで、私のXにおけるフォロワー達の殆どは、そうした源流を持っているといって良い。
そんな環境のなか、2年ほど前からなんとなく絵を描いて見せるようになった。はじめは散発的に、何らかのキャラクターを描き、ネコの絵を描き始めてからは毎日投稿するようになった。TLにネコが居ることに慣れてきた人が、いいねをくれることも増えた。
素直に喜べば良いものだが、頭の片隅には「彼の存在を源流とした、界隈の、おこぼれに預かっている」という思考が抜けることが一切無かった。そんなこと、思ってしまえばキリのないことだが、それでもやっぱり脳裏をかすめる。
そこにきて偶然、Misskey.designという物に出会った。Xでは「Misskeyをしている」とは一言も発していないので、裸一貫やってきた形になる(それでもどういうわけだかアカウントを見つけてフォローしてくれた愛い奴らもいるが)。
この場において、運良く自分のイラストが人様の目に止まってくれたのは中々良い体験だった。ああ、絵だけでも喜んでくれる人が居るんだな。彼の存在を背負わなくても、なかなかやれているじゃないかという、実感と確認だ。
そこで冒頭の話に戻る。
登録者数50万人だか、なんだかの彼のチャンネルにおける広告パワーは凄まじく、Misskey.design内でも私の投稿したイラストを見たという方がチラホラいらっしゃった。その時は流石にそうだよな〜と思ってふんわりと受け止めていたものの、よく考えると上述したような「自立の証明」としてのMisskey.designでの立ち位置は、明確に変わったのではないか?というように思えた。
これからはかつてのように 彼の友人としての自分 が存在することになる。
しかし、今の自分は思いのほか、それが平気なのかもしれない、と気づいた。
そう思えた理由はやはり、この半年Misskey.designでイラストを褒めてくれた方々のおかげであり、こうした期間は確実に必要であったように思う。身一つでここに入ってきたのは正しかったのだ。
先日の日記において「大きなものと自分を比較すると、やがて自身の立ち位置を見失うことがある」と書いた。まさにそれなのだ。彼の威光を認めるあまり、自身の価値を見失っていたというのは誤魔化せない、確実に、ある。
そうした大きなものから一旦離れ、自分の位置を確かめ、踏みしめた時間があり、もう今なら、自分は平気だとわかった。おめでとう、おれ。ありがとう。
やっぱりあのイラストを描いて良かったんだな。帰宅して資料集めから完成まで1.5時間の突貫工事。雑にもほどがある、勢いだけの絵。
それでも、あの発想は、おれにしか無かったんだぜ。