我が家の壁はびっくりするほど真っ白で広くて何もない。
穴を開けたくないとか雑然としているのが嫌だとかそういうわけではなく、単に物を飾る習慣がないというだけの話である。
それが最近は「ちょっと、ものを飾ってみてもいいんじゃないかな」程度には気持ちが持ち上がってきている。あとひと押しでいい。やってみるだけ。何かを画鋲で打ち付けるだけ。それで始まると思う、色々が。
今思い返すと、映画館でもらったポスターなんかを飾ってみたことがあったかもしれない。007だったり、コードネームアンクルだったり……別にスパイ映画がめちゃくちゃ好きというわけではなくて、当時なんらかの形で無料で貰えて、かつ部屋に飾っても嫌じゃないものがその2本だっただけだ。
岡崎体育のアルバムを買ったときについてきた、彼が森の中でこちらを見つめているだけの巨大ポスターは1回広げたきり、どこかへ行った。多分捨てたと思う。
ともかく、この真っ白な壁を飾り立てるまであと一歩なのである。
こうした習慣というのは、おそらく周りの人間がそうしたことをやっているのを見で羨ましく思っただとか、そういうキッカケが大事な気がしている。
かといって、うちの母親はとにかく何もかもを飾り立てまくるタイプの人間だったので、そうした環境が身近になかったというわけでは決して無い。どこで買ってきたかわからない布を壁にかけ、テレビ台の下のガラスケースには一見ガラクタに見えるただのガラクタがぎゅうぎゅうに敷き詰められ、手塚キャラがおり、ガンダムのザクがおり、飛行機の部品があり、どこかで買ったアクセサリがあり、スノーボールがあった。活字にすると子供のおもちゃ箱のようだが、実際そうだったんだと思う。
その辺を思い返すとだんだん気がラクになってきた感じがする。つまり気負いすぎていたのかもしれない。インターネット上で見つかるオシャレ=テイスト=ルームのようにならなければならないというプレッシャーがあったのかもしれない。シャレたアイテムをシャレた角度で、どこから写真を撮っても見栄えのするように整列し、やはり趣味でもクリエイターなんだねと思われたかったのかもしれない。
そう、我こそはテレビ台の下のガラスケースに自宅・ユニバースを生み出していた母親から生まれた子であり、それを見て育ったのだからどうあがいてもレペゼン・テレビ台の下・ユニバースなのだ。いいぞ、だいぶ調子が出てきた。
流石に気が引けるが、極端に言えばちかごろ購入した同人誌の気に入った1ページを貼り付けたって構わないだけだ。実際にはやらないが、そういうドライブ感が肝要なのだということはわかる。格好をつけるな。己のユニバースに目を向けよ。よくわからない布を飾れ。いや、布はちょっとホコリが気になるのでやらないかもしれないが。とりあえずは、おあつらえ向きのものがあるじゃないか。