年末にヴィム・ヴェンダース監督のPERFECT DAYSを観た。
淡々と繰り返すトイレの清掃員の暮らしを、小さく閉じた世界の中において美しく描き切ることに全振りしていて、演技も映像も音楽も、全部が内向きだった。1970年代のロックが完璧な懐メロとして機能していた。
エッセンシャルワーカーを取り上げてはいるものの社会的なメッセージを伝える映画ではなく、そこを求める人には退屈かも。評価の分水嶺は公衆トイレで、あれが綺麗すぎると感じる人にはあまり響かない作品だろう(そもそもトイレのCMなので仕方ないのだが)。
とても美しい映画で観て良かったとは思ったものの、どこか腑に落ちなさが残った。その理由を後から考えてみた。
ミニマルな暮らしにはある種の豊かさ、清貧の美しさがある。私自身、スープでのミニマルな食卓を提案しているから、この世界に共感するところはおおいにあった。
ただ私はミニマルライフを全肯定しているわけでもない。情報も物も過多の時代でそのことにみんなが負担を感じている。だからいちど空っぽにすることによって、その空いた場所に満たすべきものを自発的に感じてほしいという気持ちなだけ。必ずしも小さな暮らしが良いと考えてはいないし「その先を照らす光」をいつも思い浮かべている。
この映画の主人公が、持っていたものを手放して部屋を空っぽにしたとか、あるいはまた空っぽな部屋を何か自分なりに満たしていった、そういう話ならもっと惹かれたのかもしれない。
映画に限らず、全ての表現にはどこかに未来を感じる手がかりを残して欲しいと願ってしまう自分がいた。
年寄りはともかく、この映画を若い人が良いなと感じることが怖かったのかな。
www.perfectdays-movie.jp