昨日は親族の葬儀だった。親兄弟や配偶者などごく近い人のそれでない限り、葬式は懐かしい人に会える社交場になってしまう。金曜の雨の中でなくて良かったね、などと言いながらだだっ広い斎場の駐車場を久しぶりのハイヒールでカツカツ歩く。
子供の頃から通夜や告別式でお坊さんが読経する間、舞台を観るように眺めている自分がいる。クレヨンの青みたいな青い着物に淡い桜色の袈裟をかけた若いお坊さん。朝早いからか少し声がかすれている。
斎場の床の模様や祭壇の花の色、死に顔よりもつるりとした遺影。ゆっくり視線を移し、耳の奥で念仏を聞いている。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
読経が独特のリズムだと思う。見習いのコックが修行する店の味を覚えるみたいに、お坊さんは修行をするお寺でお経のリズムや抑揚を覚えるのだろう。
手元の赤い数珠玉を一つ一つ数えながらお経を聴くうちに、意識が外から内に入っていく。頭の中でこれまでに死んでいった人たちの顔がぐるぐる回る。思い浮かべる人の顔が増えていくのが年齢を重ねるということ。これからも積もるように増えていくが、その順番は誰も知らない。確実なのは一番上に重ねられるのが自分の死だということだけ。
喪服だったので買い物もせずに車で帰り、夕食は冷蔵庫の中に残っていた大根と豚肉を鍋にして簡単に食べた。普通においしかった。